「集中してしまわない暮らし」への教育側からのアプローチ
Q0380
集中してしまわない社会、暮らしというのは、教育の側からはどのようなアプローチがありますか?
A0380
1つは、「手作り」をするというのが大事だと思います。まあ、ある範囲ね。今僕、「アドラー・ニュース」というメルマガを出しています。あのやり方は良くない。なんでかと言うと、メルマガを作るには1人の人間がかかりっきりでやらないとしょうがない。分業ではなかなかできない。何十ページもあるホームページなら分業でできる。それでも統一方針が欲しいから、結局、1人の人がやるわけ。その人はホームページに関するある技術を持っている人。残りの人は全然それに関わらない。昔は、あれを印刷してまして、印刷だとみんなで分業してやります。最初の原稿は誰か1人が書くかもしれないけど、「これ印刷してね」と言って、ガッチャンコガッチャンコと印刷して、紙折機で紙折りして、あれすぐ故障したけど、それで封筒貼りをして、机の上に積んで、2千通も3千通も出すから、何日もかかって、いろいろしゃべりながら、送るわけです。それって、昔の農作業で、稲を刈って脱穀していく作業と一緒です。豆を採ってきて皮を剥くのと一緒です。その中に農民の暮らしが生きていた。今、コンピュータ化したおかげで、農民さんの暮らしは死にました。コンピューターを使うこと自体は、もうやめられなくなったけど、コンピューターへの依存度は減らすべきだと思います。この間、某国のスパイが、国会議員さんのメールを管理しているサイトへ侵入して、国会議員さんのメールをみんな見られたみたい。どんなメールのやりとりをしているかは知らないけど、かなり機密情報も入っている気がします。あるいは、三菱重工業へ侵入して、ここは戦車や戦闘機を作っている軍事産業ですが、そこの情報も盗られたみたい。アメリカ国防省も入られているみたいで、どんなコンピューターでも簡単に侵入できる。そんなところに国の重要な機密を置いておくこと自体がそもそも間違っている。コンピューターの上に乗っかった文明は、基礎が無茶苦茶もろいと思う。武器も何もいらない。数人のハッカーがいたら、相手の情報を簡単に攪乱できます。今この国のコンピューターが全部止まったらどうなるか?あっという間に国は麻痺します。何もかもそれで動いているもの。水道だってガスだって来なくなるし、電気も来なくなる。新幹線も動かなくなる。町中の信号機はコンピューター制御しているから動かなくなる。それってバカげていると思いませんか。国中のコンピューターを破壊するのはたぶんそんなに難しくない。ある種のウイルスを入れて、「壊れなさい」と言ったら壊れますから。それに対するプロテクトは理論的に不可能だと思う。
手動で動くって、すごく大事なことで、手動で動かせる部分は手動で動かす、本当に必要なところだけコンピューターを使う文明がいる。
原子力発電にしても、今、原子力発電なしで暮らすのはナンセンスだと思う。必要だけど、最小限にする工夫をしないといけない。どうやって最小限にするか。このものすごい消費量をそのままにおいたまま議論するからややこしい。電気を消せばいい。コンビニをあんなに明るくしなくていいと思う。パチンコ屋さんもあんなに明るくしなくていいと思う。僕らの子どものころは暗かったけど、みんな「こんなもんや」と思って暮らしていた。「暗くなったら心が鬱になる」と言うけど、ならないよ。しばらくしたら慣れますから。
機械化とかコンピューター化とかに、過度に頼らないことが大事。学校でコンピューターの教育をするのはナンセンスだと思っている。今、ワードやエクセルを教えているけど、子どもたちが卒業したら、たぶんないですよ。昔、コンピューターが始まったころ、学校で「ベーシック言語」というのを教えた。このごろ誰も使わない。学校で習ったことが将来役に立たないことの見本だと思う。私なんか、学校で1回もコンピューターについて習ったことはない。卒業するまで。卒業した途端に、「今度研究室にコンピューターが入った。何とかせい」と教授に言われて、「あいよ」と言ってやったら動きました。試行錯誤で動かしたら動きました。実はいけるんです。いける人はいける。いけない人は、どんなにたくさん習っても、いけない。ハローワークで、ワードやエクセルを教えている。あんなんでいい。大人になって、必要になった人が習いに行けばいいんで、学校教育の中に入れなくていい。学校教育では、手作りで生きていく方法を教えたほうがいい。何であれ。遊び半分でいろんなものを作ります。ローソク作りするとか。機織りするとか。あれってほんとは大事だと思う。被災地・仙台市だったかでイルミネーション作るのに、電気を使わないで、廃油を、天ぷら油に使ったのとかを集めてきれいにして、それでディーゼルエンジンを回して発電して、イルミネーションをしようと言っていた。これはすごく面白い。子どもたちに、廃物をどうやって利用するかとかを学んでもらうのは大事だと思うし、今の文明を絶対視し礼賛してはいけないと思う。廃棄物、ペットボトルなんか具合悪いと教えるんだけど、ペットボトルなしにどうやって暮らすかのアイディアはもうなくなっている。僕らの子どものころは、お豆腐を買いに行くにはボウルや鍋を持って行った。お醤油やお酒も、瓶を持って買いに行った。そういう暮らしができるということ自身がもう伝わってない。だから、ペットボトルをなくした途端に、どうしていいか困ってしまう。
学校で教えないといけないのは、生活のために何が必要なのかという「ミニマム・リクワイエメント」。「これは知ってたほうがいいよ」ってこと。全部、現代文明・機械文明を前提にして、「そこについていけ、後れるな」教育をしているけど、それは違うでしょ。現代文明は必ず滅びるでしょう。こんなの長持ちしないことは、みんな知ってるもの。やがてパニックになる時代がくるでしょう。そのパニックの時代に生き残れるかどうかは、食糧生産できているかとか、廃物をどう利用できるかとか、機械に頼らないで人間にどこまでできるかにかかっている。そんなのを教育の中で教えてほしい。(回答・野田俊作先生)