IT時代に、ボーイスカウトでサバイバル経験できるか?
Q0381
子どもがテレビゲームをどうしてもしたいと言うので、小学校2年ぐらいからやっています。その代わりにボーイスカウトへ行って、キャンプなんか経験して、テレビゲームもいいけど、サバイバルを経験しほしいと言って、毎年出かけていってもらっていますが、ITの時代に、そういうことで保証できるでしょうか?
A0381
ある程度ね。僕、海洋少年団にいたんですが、あれは、1つの原体験で、海の上は、山よりももっと限定されている。海へ出てしまうと、それっきりじゃないですか。そこで考えることはいっぱいありました。人間て何があったら生きていけるか、何があったら生きていけないか。キャンプもしたし、学校以外で一番たくさん学んだ場所としては、1つは海洋少年団で学んだことが大きいと思います。ほんとの意味で協力すること、リーダーの命令に絶対服従するのはあんなところでは大事です。リーダーって、あんなところでは大事です。「これ」と言ったら、「そんなの違う」と言えない。全員そうしないと、海の真ん中で迷子になる。リーダーになったら、しっかり勉強して、みんなが死なないように考えないといけない責任がある。
もう1つは、大学で混声合唱団にいたこと。男子と女子全部で7,80人のグループで、そこでマネージメントに絡んでいたので、あれは勉強になった。男と女の混じった集団をとにかく無事に1年間、いろんな困難を乗り越えてね。いろいろありますよ。マネージするのは大変な修業になってよかったです。そんなのが社会へ出たら役に立ちます。まったく手作りでね。ああいうところにいると、いろんなことを学びます。例えば、宿の取り方。合宿するから宿を探さないといけない。どうやって探すか。どの季節はどこがいいか?夏はスキー宿屋でとか。夏はスキー目当ては来ないから、いろいろやっている。ピアノくらい置いている、どこも。それから、広告の取り方。演奏会するプログラムに広告を載せてほしい。それを飛び込みで頼んで回る。大学のまわりの店に。馴染みの店と馴染みでない店があって、普段から馴染みの店は、イヤイヤでも載せてくれる。普段のつきあいは大事だと思う。そんなことで、学ぶことがたくさんあって良かったです。
他にも学べるいろいろ学べるチャンスはあると思います。そんなところへできるだけ出入りするチャンスを増やしてあげたらいい。
テレビゲームも悪いとは思いません。そこから学べることもあるし、コミックから学べることもあるし、何でも学ぶチャンスです。
アドラー心理学がいつも、親に向かっても子どもに向かっても問いかけることは、「そこからどんなことを学びましたか?」です。「テレビゲーム1日やって面白かった」と言ったら、「そこからどんなことを学びましたか?」と聞いてやればいい。そしたらそこから子どもは、ものを学ぶためにテレビゲームをやってくれるじゃないですか、ただ楽しみのためじゃなくてね。「ボーイスカウト行って面白かった」と言えば、「今日はどんなことを学んだ?」と聞けばいい。いつも学んでいくというのが大事なことだと思います。
私たちは、最終的に、賢い人間になりたいと思います。「賢い」というのは、知恵のある人間になりたいということなんです。「知識」と「知恵」と「技術」に分けて、知識というのは人から聞いて学べるもの。学校で教科書を読んだり、先生の話を聞いたりすると、知識はたくさん入ってくる。でも、これ自身はまだ知恵じゃない。技術もだいたい人から学んだほうがいいです。鉛筆の削り方から始まって、ハンダごての使い方も。お裁縫も。僕はお裁縫は習ったことがない。手縫いは、雑布を1枚だけ縫ったことがある、この世であとにも先にも。ミシンは一度も使ったことがない。これを大変悔しく思って、母親に「ミシンない?」と言ったら、「捨てた」と言われて、「あちゃー!」。あれは、ちょっとだけ触るには面白そうだった。男の子で、一生自分でミシンを使いたいと思う子は、まあいないと思う。僕は珍しく、そう思ったわけで、何を作るのかはよくわからないけど、機械そのものがすごく面白そう。ミシンの中古をどこかで買ってくるとする。でも、使い方を教えてもらわないと、最初、使えない。何でも技術というのは、つまんないコツがある。ハンダごてでも、ちょっと教えてもらえると使える。まったく自分だけではなかなか上手に使えない。ハンダの盛り方があって、ある盛り方をすると、長く保つけど、ある盛り方をすると、そのうち錆びてきて動かなくなる。温度の確かめ方は、ほっぺたへ近づけてきて、これくらいなら使えるというのがある。そういうのを、慣れてる人にちょっと教えてもらうとすぐわかります。技術も人から習う部分が多い。知識と違うのは、自分でトレーニングするのがすごくたくさんいるだろうと思う。それらができてきたときに、知識でもない技術でもない「知恵」がいつしかできてくる。知恵というのは、長いことかかって、知識と技術の習得の果てにできてくる。テレビゲームで大した知識は入らない?そんなことない。技術は、動体視力がよくなったりする。それなりに知識も技術も入るでしょう。そこから次のステップへ、ひょっとしたら上がれるかもしれない。わかりませんけど。ただ、テレビゲームが好きだから、コンピューター技術者にしようとか、ゲームクリエイターにしようとかいうのは間違った発想で、全然違います。好きなことを自分の一生の仕事にしようというは違うと思う。僕は釣りは好きですけど、漁師になったらつらいと思う。漁師で暮らしていこうとすると、近海漁だと毎日翌日の天気予報を聞く。天気予報と潮の具合で、行けそうだととにかく海へ出る。風邪引いていようが、食欲なかろうが、とにかく出る。魚が来たら来ている間働いて、とにかく船が沈むまで積む。来なかったらしょぼんと諦めて帰ってくる。まあ、博打商売です。天気も潮回りもいいのに、海へ出ないはありえない。出て魚が来たら、来てる間は寒かろうが暑かろうが働くしかない。この魚は釣り味がいいとか関係ない。売れるか売れないかだけの問題で、色が好きとかは関係ない。全然釣れないと生活困るなあと思って帰ってくる。これはつらい仕事。絶対、漁師はしたくない。釣り人は釣れなくても、今日は1日良い風景を見られてよかった。あるところで、「今日はこれ以上はいらんわ、ありがとさいなら」で終わり。これは楽しい。あらゆるものは仕事にしたら地獄です。どんなものもそうです。仕事は別にきっとある。人間の仕事は、長い人類の10万年の歴史の中で、人間がやれる仕事だけ残ったと思う。人には絶対できない仕事というのは滅びた。事務仕事だって営業マンだって、人間にできる仕事です。ただ、今、選択肢が狭すぎる。机で帳簿書くか、営業に行って売るかしかなくなった。工場でも、わけのわからん機械のほんの一部分を受け持っているだけで、自分のやっている仕事の全体像が見えない。これは悲しい。フォルクスワーゲンは、車を1人の作業員が最初から最後まで全部作る。流れ作業じゃなく、車1台1台を作るようになって、すごく車が良くなった。アメリカは徹底流れ作業やって車の品質がどんどん悪くなった。全体が見えないときには人間はただの機械になってイヤなんです。日本人は変態ですから、トヨタはロボットと人間が協力しながら作っている。ロボットができないところを、人間がちょっと手伝っている。日本人はあんなのが好き。仕事の中で、自分が何をやっているかがはっきりわかるといのは、すごく大事。よく、就職してからわけがわからなくなる子がいる。大学出てわりと良い会社に勤めました。「でも、全然つまらない」と言う。「あなたの会社は何しているの?」「知らん」。「あなたが経理の仕事で帳簿つけているのはわかったけど、会社はどんなことしてるの?」「貿易商社だから貿易しているんでしょうね」。「どんな商品扱ってる?」「知らん」。「どんな国と取り引きしてるの?」「知らん」「会社便り見たら書いてあるでしょ」「だいたい就職するとき読まなかったのか」「そんなの読んでません」「就活でいくつも行く。それで雇ってくれたところへ来ているので会社について一々読んでません」「それじゃあしょうがないけど、採用になったら読みなよ」。どの会社も、自分の会社がやっていることについて書いています。ホームページ見るだけでもずいぶんわかる。そうすると、この中で私は働いているんだ。ロシアから木材を輸入して、こっちから中古車を輸出して、それで稼いでいる。うちの会社が輸出した“山田商店”と書いたトラックがシベリアを走っていると思うと、経理の仕事も色がちょっと出てくる。それがわからないで、ただ帳簿をやっていると悲しい。仕事というのは、この世が円滑に回っていくお手伝いをしている。そこには、知識と技術があるけど、もう1つ知恵というものがあって、私は世界の中でこういう役割をするために生まれてきたんだ、私がいるおかげで、山田商店の中古車がシベリアを走っているんだ。シベリアの材木がどこかの家の床柱になったんだと思って暮らせる。そのあたりのことを子どもたちに教えていきたい。巨大な産業社会の中でも、結局1人1人の人間の力が集まって世界全体を動かしている。その1人の人間なんだ、私は。ただの歯車じゃないんだと知ってもらえるように育てたいと思っています。(回答・野田俊作先生)