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スレッドNo.212

世のために尽くしたら幸せになるか?

Q0385
 アドラー心理学では、他人を幸せにしたら自分も幸せになると勉強してきましたが(野田:この勉強の仕方は間違っている。こう言ってないぞ、誰も)、私はけっこう他人や世の中に尽くしているのに、自分が幸せになりません(野田:それ見なさい)。大地震や災害のたびに義援金を寄付したり、その他いろいろ他人や世の中のために尽くしているつもりですが、そのわりには自分には何も返ってこない気がします。特に経済的な面でそう思います。自分が差し出してから自分に返ってくるのにある程度時間がかかるのでしょうか?それとも自分が差し出した分は自分には返ってこないのでしょうか?何か自分が損ばかりしている気がします。ちなみに私は今事情があって仕事をしていません。野田先生はどう思われますか?

A0385 アドラー心理学の勉強をし直すべきだと思います。「あなたがもし幸せになりたいなら、他の人を先に幸せにしないといけません」とは言います。「他の人を幸せにすればあなたは幸せになるでしょう」とは言っていません。「もしも宝くじに当たりたいなら宝くじを買いなさい」とは言いました。「宝くじを買えば必ず当たるでしょう」とは言っていません。われわれは人間であるなら他人を幸せにしないならば、まわりの人を幸せにすることを一切考えないなら、決して幸せになることはないでしょう。宝くじを買わないなら決して宝くじに当たることはないでしょう。これは科学的です。としたら、宝くじを買えば宝くじに当たるかもしれない、当たらないかもしれない。他人を幸せにすれば自分も幸せになるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、もし幸せになりたいなら、他人を幸せにするしかない。これ、科学的だと思わない?
 因果性というものについてちゃんと理解してほしい。因果性というのはこういうことです。今あることがあって、例えば私は今不幸だ、それには原因がある。その原因は100パーセント自分の中にある。外にもあるだろうけど、外にある原因は私にはどうしようもない。私は今不幸である。さまざま原因はあるべしと思うけれど、私が何とかできる原因は、私の中にだけある。私の中にあるその原因を取り除いてみたら、その不幸がなくなるとしましょうよ。そしたら、それが原因なんだ。私は今不幸です。考えてみると、他人に何にもいいことをしていません。他人にいいことをしてみるとどうか?幸福になるとは言えないけれど、幸福になる可能性はある。今みたいに、他人に何もいいことをしてないと、絶対幸福になる可能性はない。とすると、リスクテイキング、賭けてみる価値はある。賭けてみたところで返ってこないかもしれない。初めから、返ってくる約束は誰もしていない。じゃあ、方々にお金なんか寄付したりして、どこに問題点があるのか。それは、人間の暮らし方がわかってないことですよ。人間というものは、金出せばいいものではない。もしも100パーセント確実に幸福になりたいのだったら、仕事してないならちょうどいいから、荷物まとめてアフガニスタンかどっか行って、あるいはビアフラかどっか行って、難民キャンプで働いてごらん。絶対に幸福になるから。毎日毎日そこにいる人たちのお世話して、穴掘って井戸作ったりして、彼らと一緒に問題を共有しながら、ものの三月か半年も暮らせば、人間がこの世で味わえる最高の幸福と最高の不幸と、味のある、ぐっと濃い濃厚な生活を送れるでありましょう。与えることが返ってくるんです、きっと。お金しか与えないなら、お金の分だけしか返ってこない。だって、与えたお金というのは、まあ余っているお金でしょう。余っているお金を与えたことは忘れなさい。それはもともとあなたのものじゃなかったんです。僕らのところに余剰にあるお金は本来私が持っているべきでないものが、たまたま僕のところに溜まっているだけなんです。それは水溜まりみたいなもんなんです。だから、水はけよくしてどこかへ流してやったら、それが自然なんです。何かものをあげたわけではない。間違って私のところにいただけなんです。それぐらいに思って、見返りなんか求めないことですね。もしも見返りを求めてどうしても幸福になりたいなら、自分が犠牲になって、体力を使い知恵を使い財産をすり減らしてやったら、幸福になるでしょう。思いません?そんなふうに。(回答・野田俊作先生)

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