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スレッドNo.218

よく後悔する、考えすぎて疲れてしまうことから脱出する方法は?

Q0388
 神経症というのはだいたいどういうものなのでしょうか?鬱病とは違うのでしょうか。私は何をしても後悔する人だと思っています。だから、何かをする前にもう、つまらないことであとで後悔するかもとくよくよと考えすぎて行動できず、ひとり疲れてしまいます。この、ひとり考えすぎて疲れてしまうことから脱出する方法はあるでしょうか?なお、私は友人が少なく、相談もうまくできないので、自分で対処できる方法があれば教えてください。

A0388
 簡単です。後悔することを先に決心しておけばいい。「よし、後悔しよう」って。きわめて簡単です。若い人によくアドバイスします。「あとで後悔する側を選びなさい」と。学校を選択するとか、友だちを選択するとか、職業を選択するとき、「どうしようかな?」というとき、安全な側を選んではいけません。安全な側には喜びがありません。後悔する側は、喜びがある可能性が高い。ただ、後悔するかもしれない。後悔したらやり直せばいい。後悔して「ダメだった」と思ったら、もう1回選択肢がありますから、より後悔しそうなほうを選べばいい。そうすると当たるかもしれない。でもやっぱり全然当たらなくて後悔するかもしれない。そりゃ簡単で、その次、またより後悔するほうを選べばいい。そうしているうちに、虞(おそれ)がなくなるでしょう。われわれは、考えること、くよくよ考えて後悔するとか、未来に不安を持つとか、考えることでもって、何をしようとしているのか?考えは、いったい僕らにどんなことをさせようとしているのかというと、今と同じことを続けさせようとしている。考えは、普通100パーセントといっていいほど、「現在やっていることを正当化させるため」に考える。神経症の人ほど、やっていることが汚いから、やっていることが醜いから、やっていることが嘘に満ちているから、たくさん考える。たくさん考えているのは、神経症の証拠です。ほんとに健康なら、ほとんど考えないで生きられる。だって、考えることなんか何もないもの。後悔することに決めてあるんだし。できるだけ不安な側に飛び込むことにしているし。当たらないかもしれない宝くじを買うことに決めているし。全然返ってこないだろう寄付はするし。そうすると考えることは何もないもの。こうやったら相手に好かれるだろうかとか、嫌われるだろうかとか、こうやったら、みんなに受け入れられるだろうかとか、受け入れられないだろうかとか、考える必要がないもの。「あっ、嫌われよう」と思っていればいいわけだし。みんなののけ者になっても、私は私の一番やりたいことをやる。それが私の力を、私の持っている可能性を、この世の中に一番活かすことになるんだろうからと思うから。もしも、人に決めてもらうと、私の持っている可能性を最大限発揮できない。私の持っている力を一番大きな形で、世の中の歯車と噛み合わせて、それで世の中に対して私のエネルギーをパワーを与えていくというのが、私のこの世の中の方針だと決めちゃえば、考えることが何もない。逆をやっている人は、絶えず他人が自分をどう評価するとか、どう考えるだろうかとか、みんなが私を好きになってくれるだろうかとか、私の好きな人は私を嫌いじゃないだろうかとか、私のやったことは報われるだろうかとか、考える。ということは、神経症なんです。その人は結局何もしていない。ものすごいエネルギーを使って考えているけど、それは犬が自分の尻尾を追っかけてぐるぐる回っているように、ただ飯を無駄に食っているだけで、何ひとつ生み出していない。その生き方をやめてほしいと、アドラーは言った。いつも、リスクテイキングをしなさい、いつも後悔する側を選びなさい、いつも不安なほうへ入っていきなさい。安全な側を選択するのをやめなさい。そこを基準にものを考えるのをやめなさい。あなた自身のパワーをあなた自身の可能性を、どう世界に返していくか、どう他人に役立てるかを考えなさい。その見返りを求めるのをやめなさい。そうすれば考えなくてすむでしょう。そうすれば神経症から抜け出せるでしょう、と言いましたが、どうですか?やってみません?後悔する側を絶えず選ぶこと。(回答・野田俊作先生)

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