老子でジャーナル
老子でジャーナル1
これから『老子』を読破していきます。私がこの書に取り憑かれたのは、昭和50(1975)年頃、備前高校(現・備前緑陽高校)に在籍中に同僚であった藤井良勝先生の影響によります。彼は窯業科(のちセラミック科)の先生で、大阪出身の方でしたから、学校近くに下宿されていました。当時、備前高校は普通科5クラスと工業系の機械科2クラス、化学工学科1クラス、そして窯業科1クラスという大規模校でした。私は「社会科」の教師でしたから、担任はもちろん普通科クラスでした。授業は工業系にも行きます。ご多分に漏れず、工業系クラスではとかく普通科の授業は軽視されがちで、特にこの窯業科では困難を感じることが多々ありました。藤井先生は若くても専門家の先生ですから、普通科の私たちに比べれば行いやすかったのでしょうが、それでも彼の授業は結構騒がしかったみたいです。まずいことに、校長がときどき校内を巡視されていました。そのとき授業をしていた彼は、生徒たちに「頼む。静かにしてくれ。わしがクビになる」と生徒に頼んだそうです。するとなんと生徒たちはスーっと静かになったそうです。彼はきっと生徒たちから愛される教師だったのでしょう。その話を聞いて感動した私は、彼と親しくなって、愛読書などを教えてもらいました。その中に『老子』がありました。「なるほど」と納得できたわけです。私は備前高校に7年勤めて、岡山工業高校に転勤しましたが、彼は3年ほどで出身地の大阪へ戻っていかれました。その後のおつきあいはありませんが、印象的な同僚のお一人です。
第1章
道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。名無し、天地の始めには、名有り、万物の母には。故に常に無欲にして以てその妙を観、常に有欲にして以てその徼(きょう)を観る。この両者は、同じく出でて名を異にし、同じくこれを玄と謂う。玄のまた玄、衆妙の門。
これが道だと規定しうるような道は、恒常普遍の道ではなく、これが真理の言葉だと決めつけうるような言葉は、絶対的な真理の言葉ではない。天地開闢以前に元始として実在する道は、言葉では名づけようのない存在であるが、万物生成の母である天地が開闢すると、名というものが成立する。だから人は常に無欲であるとき、名を持たぬ道のかそけき実相を観るが、いつも欲望を持ち続ける限り、あからさまな差別と対立の相を持つ名の世界を観る。この道のかそけき実相およびあからさまな差別と対立の相の両者は、根源的には一つであるが名の世界では二つに分かれ、いずれも不可思議なものという意味で玄と呼ばれる。そして、その不可思議さは玄なるが上にも玄なるものであり、そこを門として出てくるのである。
※書き下し文と現代語訳および解説は、朝日新聞社発行「中国古典選10・老子」福永光司先生著に依ります。
『老子』巻頭のこの章は、老子哲学の根本をなす「道」について説明しています。「道」については他にあちこちで、「万物の宗」「帝の先」「恍惚」「寂寥」「大」「無為自然」などと表現されていますが、ここではまず「道」を「玄」─玄妙・幽玄・不可思議なる実在として特徴づけています。
世間一般の学者がいろいろに定義している、「これが道だ」としうるような道は恒常不変の絶対的な根源の道ではなく、絶対的な根源の真理とは、いわゆる“道とせざるの道”─人間の言知では捉えようがなく、あらゆる定義がそこではむなしくはねかえされてしまうような不可思議な存在、これを知れりとするところにもはや絶対の真理ではなくなり、これを知らずとするところに帰って絶対の真理として現れてくるような逆接的な真理である。同様に、これが真理の言葉としうるような言葉は恒常不変な真理の言葉ではなく、恒常不変な真理の言葉とは、言葉なき言葉、いわゆる“物言わざるの弁”であり、「言葉を去った至言」である。
(長い解説が続きます。以下は次回に。)