心理的ストレスと偏頭痛
Q0416
息子が中学生のとき、ある医療大学の文化祭で、「あなたの脳のストレスを調べます」と言って、ストレス度を計ってもらったら、「あなたの脳は85%ストレスを感じています。85%のマイナス思考です」と言われました。主人も息子も偏頭痛持ちです。何か関係がありますか?
A0416
全然関係ないと思う。ストレスは、心理学的なストレスは、それそのものが嘘です。もともとスリエという政治学者がストレスの研究をした。その先生は、ネズミを冷たい水の中につけるんです。で、血圧とか脈拍とかを測って、ひどい環境と生理変化の関係を研究した。その場合は、ひどい環境も測定できる。温度が何度とか。その結果の血圧とかも測定できる。測定できるものと測定できるものの関係だから科学的です。でも、人間のストレスは測定できない。「嫁さん死んだ」と言って、ごっつい悲しむ人もいるけど、無茶苦茶喜ぶ人もいる。心理的な反応も測定できない。だから、喩え話なんですよ、心理的なストレスというのは。本気にしないほうがいいです。心理的ストレスを測定する方法は、心理的ストレスそのものがないんだから、測定法もない喩え話です。まあ遊びです。「あなたの過去性は…」というのと同じです。本気にしなくていいです。
偏頭痛は、はっきり言って遺伝疾患です。遺伝子があるんだと思います。確かに身体疲労だとか、脳の生理的疲労だとかで起こるだろうと思いますが、そうでないとき、血圧変動とかで起こることもあります。だから、ストレスと必ずしも相関関係はあるようなないようなです。疲労と関係していると言えばしているし、してないと言えばしてない。はっきりしません。偏頭痛もいろんなタイプがあります。喉がカサカサするだとか。あんまり深刻に考えなくていいです。痛いけどどういうことないです。痛いだけで。しばらくしたら治りますからね。
アドラー心理学の話をすると、「冷たい」と言われる。これは「冷たい」んじゃなくて「涼しい」んです。皆さん方がいつもやっているのは、「暖かい」んじゃなくて「暑苦しい」んです。暑苦しい生活から涼しい生活へ変わりたい。みんなが暖かいと思っているものは、実はそうじゃない。いろんなお話を聞くと、どれも暑苦しい人間関係を作っている。それが結局問題をこじらせている。最終的に人間の人生の責任は、その人自身にあります。私の人生の最終責任は私自身にある。当たり前のことでしょう。私の代わりに、腹減ったから飯食って、トイレ行きたいから代わりに行って、と言えないんですよ。腹減ったら自分で飯を食う。トイレ行きたかったら自分で行く。それはしょうがない。何でもかんでも肩代わりできると思い込んでいる人がいて、そんなのできません。自分の人生の責任はそのご本人にあります。生きるとか死ぬとか究極のところもそのご本人にあります。だから自さつだとか腎臓の透析だとか老衰して癌になって死んでいくとかいうのも、最終的にご本人だけの問題なんです。それが1つ。もう1つは、人間は1人で生きられない。人間は社会的動物であって、まったく他人と孤立することはできない。ここでこうやってお昼ご飯を食べました。あれは自分自身が畑を耕して作ったんじゃないんです。どっかのお百姓さんが作ってくれたものを、どっかの流通業者がどっかの小売店に売ってくれて、それを私が食べたので、みんなの助け合いでお昼ご飯が食べられたんです。あらゆることにおいて、人の助けを得なければ暮らしていけない。人の助けを得るためには、お互い同士が決まりを守るというか、道徳を守るというか、そういうことを学んでいかないといけない。人間は生まれながらに社会的な動物なのですが、その社会性=共同体感覚をちゃんと発達させるには訓練がいる。ちゃんと人と一緒にやっていける人間になれる練習をしないといけない。その練習はわれわれは、残念ながらまだ不十分です。私たちの時代は、昔に比べればそれなりに進歩しました。昔の人に比べれば、私たちは道徳的に暮らせるようになっていると思います。外国に比べれば、日本人って凄い道徳的だと思います。東日本大震災のとき、世界中のアドラーの人が心配して、僕にメールをくれました。僕は、「心配は何もないです。この国はああいうことがあっても、掠奪も起こりませんし、暴動も起こりません。みんなで助け合って生きてます」と言ったら、「うっそー!」です。だいたい世界中どこでもあそこまでの震災があると、泥棒でいっぱいですよ。何でも持って行ける、何でも盗れるんだもの。でも、実際にはみんなで助け合って暮らして、大強盗事件なんてありませんでしたよね。それがこの国のいいところです。そういう日本人が何百年とかかけて作ってきた道徳というものがあって、それは今後も良くなっているでしょう。でもまだ発展途上です。だからつまらない人間もいっぱいいます。でも、アドラー心理学を学ぶことによって、もうちょっと大人になります。もう少し、動物レベルから人間レベルに近づきます。もう少し、感情じゃなくてちゃんと理性でわかって分別で動けるようになります。それはいつも練習がいる。今日のお話を聞いていただいて、ちょっと進みましたが、話を聞くだけでは頭が動いただけで、体は動いていない。アドラー心理学って、基本的に“体育”です。今日は泳ぎ方の講習をしましたが、プールに入らないと泳げない。絶対。是非、「パセージ」とかを受けてください。実際に自分の生活の中で、これをどう使っていくか。1人1人みんな違いますからね。それから地域の学習グループがたくさんあります。全国に学習グループを作るのが私のやった仕事だと思います。アドラー心理学をどうやって日本全国に根付かせていくかというときに、まあ大きく3つのやり方があります。1つは、大学でアドラー心理学の講座を作るやり方です。大学はアドラーをやりたいから入ってくる学生さんじゃない。学生さんて基本的に子どもでしょう。子どもたちにやってもしょうがない。自分が子どもを育てているとか、働いているとか現場の人のほうが、実感がある。企業を中心にアドラー心理学をやるというやり方もある。それは、そこが潰れたら終わりじゃないですか。今、アドラーギルド社をやっているけど、僕が死んだら即解散ですわ。ずーっと続いてやっていけるというと、地域の学習グループです。それを世代交代しながらやっていってほしい。その背後にバックアップとして、学習グループの元締めとして日本アドラー心理学会がある。その3番目のアイディアを梅崎さんや服部さんと相談しながら採用してきました。で、全国どこにも学習グループができています。茨城県にもできました。次、福島県と山形県だと、国盗り物語です。青森県もできました。北海道も岩手県も宮城県も秋田県もあります。あと宮崎県と鹿児島県です。長崎もまだないか。その元締めとして日本アドラー心理学会がありますから、まだ入っていない方は是非入会してください。(回答・野田俊作先生)