人権教育より道徳教育を
Q
本日のお話(高松での講演会)は私たちの学校教育の人権・同和教育で進めていることそのものだと共感します。(やめて、お願いだから。違う。まったく違う。)一応、人のために何ができるか、学力保障して、していけないことはいけないと、特別な支援を必要とする子に対して、体験から学ぶ教育をしています。
A
私、“人権思想”反対なんです。“権利思想”賛成ですけどね。根本的に哲学が違う。どうせ、ある思想のキャンペーンをする人は、共産主義であれファシズムであれ、その他どんな思想であれ、きれいな言葉を使います。「それはなるほどいいことだね」と思わせなければ広まりませんから。騙されないためにはどうすればいいか?思想の一番根本を疑うことです。アドラーが嫌いだった言葉がいくつかあります。1つは、「民主主義」です。それから「人権」。「権利」は好きだったけど「人権」は嫌いだった。そのへんの哲学的な違いが一番根底にあって、それをデコレーションで、美しいもので飾っている。ケーキの中のスポンジは違うけど、表に載っているクリームは一緒なんです。中身の違いを知ってほしい。学校では「人権・同和教育」をすべきではなくて「道徳教育」をすべきです。道徳教育というのは、「したくないけどしなきゃならないことを、しなきゃならないね」ということを教えるんです。したいことをして生きるわけにはいかない。したいことをしてみんなが生きたら、みんなが不幸になる。当たり前でしょう。人間は「したくないけれどもすべきこと」をすべきなんです。そのことを子ども時代に教えてあげないといけない。これが幸福へつながる唯一の道です。そのためにひょっとしたら時には自己自制が必要かもしれません。この次に戦争するときのことを考えてみたことありますか?真剣に考えてほしい(もちろん絶対したくないですが)。今の状態でこの次戦争をするときは、まず最初にわかることは、一番最初から本土決戦だと思います。この前は、沖縄だけは申し訳ないけど、本土決戦はなかった。日本本土へは敵を上陸させないままに戦争が終わりましたが、この次は一番最初から本土決戦です。だって「憲法」がそう書いているもの。こっちから外へ出て行くというのはないんですよ。だから、敵軍が攻め込んだ瞬間から始まります。最初から本土決戦というと、敵の軍隊はどこにいるのか?今、日本国内にいます。どうやっているか?留学生としています。今から5,6年前の北京オリンピックのときに聖火リレーが長野県でありました。そのときにチベット支援者たちが聖火リレーに文句を言おうと長野に行こうと計画を立てたら、中国政府が日本にいる留学生に動員をかけて、5000人からの中国人留学生が観光バスを仕立てて巨大な五星紅旗(国旗)を持って長野へ集まりました。それでチベット支援者たちを殴る蹴るの暴行をして、日本の警官はそれをまったく見て見ぬふりをしました。日中友好のためか知らんけど。かなり怪我人が出ました。黒い眼鏡をかけた筋肉質のおにいちゃんが中国人です。要所要所で携帯電話で連絡を取り合っているのは、中国人の将校です。留学生たちは全員兵役の経験がある。兵隊をしたことのある若者が日本へ留学に来ていて、何かあったときに将校がパパッと指示をすれば即動ける状態で、日本に何万人もいる。もしも戦争になったら、最初にその子たちが動く。武器はどこにあるか?これも2,3年前ですが、中国の民間航空機が成田空港に強制着陸しました。管制塔の指示を無視して。日本はどうしたか?他の飛行機をのけてその飛行機を着陸させました。ということは、民間航空機の中に武装した兵隊が乗っていたら、そのまま日本のどこの空港にでも降りられるという練習をしたわけです。中国はこのように着々といろんなところで密かに軍事演習をして、日本を占領する計画を立てていますから、この次戦争をしたら、フッと気がついたら町中、中国のゲリラでいっぱいなんです。その次に、日本人の一般の人々を人質に取るでしょう。そして日本政府に降伏するように迫るでしょう。自衛隊は手も足も出ない。状況はこんなんですよ。こんな状態で同和教育?ほとんどナンセンスと思わない?一番根本の哲学、スポンジケーキのところが抜けている。学校で子どもたちに教えなきゃいけないことは、万が一のときには死ぬ覚悟を教えることです。それから自分たちの国を自分たちで守る覚悟を決めさせることです。そのときにどう動けばいいか教えることです。悲しいことですがしょうがない。こういう地域にあったらしょうがない。もしできたら、日本国自体にモーターを付けて何千キロか移動すればいいが、そうもいかないからね。(回答・野田俊作先生)