アルバイト先にご近所の人がいた
Q
最近アルバイトを始めましたが、その職場に近所の人も勤めていました。その方ととは別に仲が悪いわけでもなく仲が良いわけでもなく、今までおつきあいはほとんどなったのですが、何となく気詰まりです。ご近所の関わりと職場でも関わりは別なのかと考えるほうが無難かなといろいろ考えてしまいます。仕事自身は楽しくやっているんです。
A
考えるというのは、頭の中でいろいろ考えるでしょう。何のために考えるかというと、大体人間はマイナス向きに考えるんです。そもそも「考えの役割」がそうなんです。何か新しいことを始めるとか一歩踏み出すとか、違う展開に持って行くとかのためには考えないので、保守的に今までのやり方を続けるとか、元に戻るとか、逃げるとかのために考えるんです。それが悪いとは言わないのですが、考えるという人間の心の働きの役割は、大体保守的なんです。逆に、感情というのはある場合には大変革命的です。結婚なんてそうです。結婚なんて、理性的に考えたらできないよ。どう考えても。1人の女の人と結婚したら、残りの女の人全部ダメなんでしょう。どんなにおっぱいが大きくてウエスト細くても、子どもの2,3人も産んでごらんよ。全部垂れ下がってウエスト太くなるに決まっている。若い男の子がじっくりと冷静に考えれば、絶対に結婚できない。それを恋愛だとかで目がくらんで、感情でもってついうっかり結婚する。それで人間は今日まで種族を保存してきたわけじゃないですか。いつも感情的なこととそれから理性的なこととが、車の両輪のようにバランスを取っているんです。ここで、近所の人と職場が一緒になってイヤだなと考え始めると、きっと消極的な結論になって、例えば仕事を辞めるとか、その人とお友だちにならないようにするとかいうふうにいくに決まっている。だから、考えるという力をつまらない使い方をしていると思う。別に考えなくてもいいんじゃない?なるようにしかならないから。なるようにしかならないのを、皆さん方はどうやって考えるんでしょう?僕はあまり消極的に考えたくないので、神様仏様のお計らいだと思うことにしているんです。僕は神も仏も実は信じてないんですけど、神様仏様のお計らいだと思うと、何となく自分で自分を説得できるんです。ああそうなんだと。近所の人と同じ職場に勤めたのは、これは神様仏様のお計らいなんだ、これはきっといいことなんだ、ここでこうやって働いていると自分のお勉強になるとか、成長するとか、お友だちが増えるとか、何か得することがあるからこういうことになっているはずだから、ひとつどんな得するかを見てみようと思う。そうしたらあまり臆病にならないで勇気を持って新しい状況に入っていけるんです、私の場合は。この質問をされた方が、「これも神様仏様のお計らいなんだ」と思うと元気になるかどうかわかりません。でも、自分が自己勇気づけをして元気になって、新しいことを引き受けていくほうが、きっと面白いことが起こっていくと思います。この方が歳いくつか知りませんが、歳を取ると新しいことを始めるのが億劫になるんです。何となくやってて今まで暮らしてこられたんだから、別に今更やったことのないことを始めなくてもいいんじゃないかって思います。そんなことをしたらボケますよ。いつも新しいことに挑戦したほうがいいし、それから危険(リスク)を引き受けていったほうがいい。勇気づけの「勇気」とは何かというと、危険(リスク)を引き受けるということで、賭けをしてみることで、絶対安全路線をとらないことね。安全確実有利というのは進歩もないし喜びもないから、この人といっぺんつきあってみてくださいな。そしたら、すごくイヤなことが起こるかもしれない。何しろ賭けですから。損することもあるんです。でもたぶんいいことのほうが起こりそうに思います。だから初めから臆病になってたくさん考えないでね。考えは臆病のしるしです。(回答・野田俊作先生)