論語でジャーナル
28,子曰く、衆これを悪(にく)むも必ず察し、衆これを好むも必ず察す。
先生が言われた。「大勢の人が嫌う人であっても、必ずその人物を丁寧に観察する。大勢の人が好む人であっても、同じように必ずその人物を観察する」。
※浩→大衆の人気・不人気に影響されないで、自分で人物を納得するまで観察してみる。噂などによらないで、自分の目と耳で見聞し、独自の判断をくだすことを孔子は力説しています。以上は貝塚先生の解説で、吉川先生は次のように述べられます。群衆は往々にして衆愚であることがあり、それが原因となって独裁者が生まれ、村八分も生まれる。それに対する警告である、と、スケールがでかい。孔子が考える「見識眼(人を見る目)」では、大衆(多数派)の意見に従って人物の善悪を判断することは危険で、大勢の人たちが「良い・悪い」と言っていても、それを鵜呑みにするのではなくて、自分の目と耳、感性で実際にその人物を観察してから評価することが大切だということです。今、ネットやSNSでの誹謗中傷で悩み苦しむ人が多いと聞きます。その人たちへのアドバイスになりそうです。イジメ防止にも役立つかもしれません。周囲の言動で自分がぐらつくのは、心理学ふうに言えば、「自我」の確立が未熟だということになるんでしょう。アドラー心理学では、「自我」とか「自己」とかの存在は言わなくて、「ライフスタイル」の働きを言います。それが未熟・幼稚なら、発達・成長させればいいのです。「個性化」と「社会化」という人間の生きる目標は矛盾している、と言ったのはフロムでした。『自由からの逃走』です。民衆が愚かだと、権威主義的(サディズム・マゾヒズム的)性格とか権力に操られるままになる“自動人形”になってしまいます。それでナチの独裁政治を生んだとか書かれていました。吉川幸次郎先生はこれをイメージされたのでしょうか。アドラー心理学の育児の目標は、行動面では「自立」と「社会との調和」です。それが達成できるために、心理面の目標として、「自分には(自己管理や社会貢献の)能力がある」&「(まわりの)人々は(原則として)(信頼できる)仲間だ」という“信念”を築く必要がある、と言います。ありがたいことに、そのための実技を学ぶ講座が用意されています。『PASSAGE』という親御さん向けの講座です。今も全国で開催されていて、お勧めです。