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スレッドNo.314

体の不調で不安になる

Q 
 不安も目的があって起こるとのことですが、私は体のちょっとした不調、例えば頭がちょっとクラッとしたり、心臓がドキドキしたり、気分が少し悪かったりすると、生命の危機を感じるような不安に襲われ、パニックに陥ることがあります。どうしたらよいでしょうか?

A
 ある人がカウンセリングに来ました。彼は難病なんです。20歳代の男の人で、脊髄の神経の炎症なんです。で、手足がとても不自由になって、杖をついて辛うじて歩けるという状態です。視力もだんだんと衰えてくる。彼が今一番恐れていることは、失明することです。失明することを考えると、居ても立ってもいられない。それで結婚もできなくて、年を取ったお母さんと2人暮らしということもあり、「このまま失明したら、どう暮らしていったらいいかわからない」って言うんです。失明という言葉を聞いただけでもうパニックになってしまう。
 こういう人がカウンセリングに来ると、私はできるだけ、「失明、失明、盲目、盲目……」って言い続けてあげるんです。この人は、失明のことを恐れるあまり、もし失明したら、どうやって暮らしていけばいいかを考えたことがない。
 まぁ、失明するとしましょうよ。失明したらどんなふうに暮らせるでしょうか。まず、生活の経済的な面は、生活保護を受けることになりますね。身体障害者第1級ですから。それでどの程度の経済的な補助が受けられるか、役所で聞いておけばいいですね。それから家の中の暮らしも、ちょっと考えなきゃいけません。目が見えなくなった状態でも暮らしていけるようにするために、家の中の整理をしなければいけない。どこに何があるのかを、目が見えなくてもわかるようにするために。それから外出に関しても、例えば保健所なんかに行って、保健士さんやボランティア活動で、どの程度援助や指導をしてもらえるのか聞いていたほうがいいですね。そうやって十分用意する。
 われわれの不安というのは、いつも「起こりうる最悪の事態」を見ないことから起こるんです。そっちから目をそらせるために、なるべくそっちのことを考えないようにしている。それは、われわれの臆病さの現れなんです。その最悪の状態を全部つぶさに見てしまうと、不安になる材料なんてないんです。
 例えば極端ですが、死ぬという恐怖も、死ぬという事態をつぶさに見てしまえば、どうっていうことないんです。「息が止まるだけ」だから。われわれはどうせ死にますしね。私も死にますし、あなた方も死にます。「100年後にここでもう1回同窓会をやろう」と言っても、絶対無理ですね。死は早く来るか遅く来るかの違いだけです。本当は恐くも何ともない。それは、友だちとお別れしなくてはいけないという淋しさはあるかもしれないけれど、死ぬということ自体は恐いもんではない。
 私も職業柄、若い時代に癌で死んでいく人たちをたくさん見ました。パニックに陥るんですね、これから死んでいく人たちは。ちゃんと死ぬときの用意をして、無事に送り届けてあげるのも医者の役割で、私はそこで精神科医としてその仕事をしたんです。それでパニックさえなくなれば、癌で死ぬのであってもそんなに苦しくはない。癌そのものの痛みはありますがね。でもそれは耐えられる範囲なんです。患者さんが、耐えられなくなるのは、その後を無限に心配し始めるからです。今このくらい痛かったら明日はどうなるだろうか、明後日はどうなるだろうか、死ぬときはどんなに痛いだろうかと。そんなことを考えるからどんどん苦しくなる。僕らでもそうでしょう。お腹がちょっと痛いときに、ひょっとしたら癌じゃないかと考えたらどんどん痛くなるよ。
 そうやって、起こりうる最悪の事態をきちんと考えておくこと、死ぬんだったら死ぬということを本当に冷静に考えてみる。そのとき何が起こるのか。心臓が止まってね、呼吸が止まって、意識がなくなって終わりです。もしも生まれ変わるものならば生まれ変わる。生まれ変わったら今と同じですよ、あの世に生まれ変わるか、この世に生まれ変わるか。あの世だったら、あの世でまた今の友だちと同窓会ですし、この世だったらまた繰り返しだし、いずれにしても何も変わらないし、今と同じ。何も問題ない。意識がなくなって、土に帰って何もなくなるのなら、やはり何もない。いずれにしても何も問題はないんですから。死ぬという一瞬の出来事だけ、ちょっと辛抱する。まぁ歯を抜く程度ですよ。あとは幸せに暮らせばいいじゃないですか。生きていることが恐れるようなことじゃないとしたら、死ぬこともきっと恐れることじゃないと思います。(回答・野田俊作先生)

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