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スレッドNo.318

自分をころして生きるのがつらい

Q
 友だちであろうとすると相手に気を使ってしまうし、自分らしさを出そうとすると相手に嫌われてしまうように思う。自分自身をころしてしまうと生きていくことが大変つらくなってしまうんですが。

A
 「今のこの私」を好きになってくれない人とは友だちにはなれないんですよ。どうしたってね。ありのままの自分じゃない自分で、作り物の自分をこしらえて、それで好きになってもらっているのは、普通は友だちとは言わないですね。だってそれは偽物を売っているようなものですから、詐欺商売ですよ。特に家族の場合はエエカッコできないですね。パンツの色までバレているのにどうやってエエカッコできるんですか。まったく普通のありのままの自分を好きになってもらわなくてはいけない。この人の課題はこれです。
 ありのままの自分で人に好きになってもらうために、まず第1にしなければいけない作業は、自分が自分と友だちになること。理想の自分ではなくて、現在のありのままの自分と友だちになれること。自分で自分のことを好きでないのに、人に「自分のことを好きになってください」って言えないじゃないですか。もちろん、いっぱい欠点はありますね。人間であるということは、欠点があるということですから。でも、その欠点というのは考えてみたら、実はないんですよ。なぜあるように見えるかというと、「理想の自分」があって、そこから「現実の自分」を引き算しているからです。理想の自分から現実の自分を引き算して、いつも採点しているから。その採点の仕方をやりますと、見えてくるのはマイナスのことばかりですね。それはとても勇気をくじきます。自分に向かってそれをしてもいけないし、他人に向かってそれをしてもいけない。理想の亭主から現実の亭主を引き算したり、理想の子どもから現実の子どもを引き算したりしますと、マイナス点ばかりですよ。
 そうではなくて、最悪の亭主や最悪の子どもや最悪の自分とかをイメージしてほしい。そこからプラスの部分を探すんです。最悪の亭主ってどんなですかね。例えばお金をくれない、例えば家に帰ってこない、帰ってきたら暴力をふるう……、そんなの最悪ね。それに比べればどうですか。お宅のご主人は毎日帰ってくるでしょう。時刻は多少違うかもしれないけれど。お金も入れてくれるでしょう。大したもんです。これは勇気づけることができますね。「毎日毎日帰ってきてくださってありがとう」って。「遅いけど」って言わないようにね(笑)。子どももそうです。最悪の子どもというのは死んでる子どもです。生きているだけで大したもんです。「元気でいてくれるだけでも嬉しい」って言えますね。
 最悪の自分もそういうふうにして考えます。例えば、生きているっていうことはすごくいいことでしょう。今日も元気だということはすごくいいと思いますよ。僕たちは健康のときには自分が病気のときのことを考えないですね。でも今日も元気で1日を過ごせるなんて素敵なことだと思いませんか。肝臓さんや腎臓さんや心臓さんたちにたくさん「ありがとう」を言いたいでしょう。私(野田)はこういう商売をしているので、とても体のことを気にします。例えばアメリカなんかに住んでいますと、マリファナなんかが簡単に手に入るんです。でも私はやらなかったの。なんでかと言うと、脳をやられると困るから。脳をやられたら、仕事にならないでしょう。本当に自分のことが好きでいる人は麻薬なんかに手を出さない。お酒だって僕は嫌いではないけれど、そんなに深酒をしない。やっぱり脳をやられると困るから。本当に自分のことが好きだと、麻薬とかシンナーとか酒とかに溺れないですよね。ちゃんと自然にブレーキがかかるから。まず自分の体とか健康状態とかを好きになってほしい。
 性格だって、私はいいところがいっぱいありますね。人には大きな声で言いにくいですけれど。自分で密かに思うのは自由ですからね。「僕ってなんて素敵な性格なんだろう」って勝手に思っています。皆さんもそう思ってください。朝起きて鏡の前に座るとき、「きゃっ!私ってなんでこんなに素敵なんだろう」と言って、しばらく惚れ惚れとしてください。これは別に誰からもイヤがられるわけではないし、絶対にいいと思いますよ。
 まずそうやって自分と友だちになること。自分がどんなに素敵かプラスの部分にだけ注目することです。理想から見てマイナスの部分には注目しないこと。さらに努力を重ねて、これ以上向上しようなどと思わないこと。今のままで十分大丈夫です。
 あなた方は今まで間違った育児を受けてきたわけです。理想の子ども像を親や教師が持っていて、「どれが足りないか」をずっと言い続けてこられて、「この足りないところをちゃんと認識しないと、あなた方はロクな大人にならないぞ、向上しないぞ」って言い続けられたんです。違うんですよ。進歩とか向上とかというのはそんな方法ではしないんです。「私はここが駄目だ」「私はここが足りない」と思って頑張ると、イヤなものから逃げるという形で頑張るでしょう。イヤなものから逃げるという形で頑張るというのは不幸なんですよ。良いものに向かって頑張らないといけない。
 およそ、イヤなものから逃げるという人生はそれ自体が逃げの人生で、“挑戦”のように見えるけど違うんです。本当にチャレンジするということは、“楽しいもの・良いもの”に向かっていることを言うんです。自分の欠点から逃げるということではないんです。
 自分のいいところを認識するようになると、そこを使えるようになる。それを使いこなすということが大事なんです。われわれの心とか体とかというのは、僕らのような年齢になってしまうと、すでに与えられていて変えられないものだと考えておいたほうがいい。今、「身長を3センチ伸ばせ」って言われたら困るでしょう。もう伸びないんですよ。それと同じように、僕たちの心も基本的にはもう変わらない。でも、生き方は完全に変えることができる。それはなぜかというと、使い方は変えることができるから。同じ体、同じ心をまったく違うふうに使うことはできる。
 僕らの持っているプラスの面を積極的に使い始めれば、生き方を全面的に変えることができます。あたかも性格が変わったようになりますが、性格が変わったわけではない。本当は“内気”だった人が“思いやりのある”人に変わるだけなんです。“臆病”だった人が“慎重”な人に変わるだけなんです。“臆病”と“慎重”というのは同じことなんですが、でも実際には全然違います。プラスに使えば“慎重”で、マイナスに使えば“臆病”です。そういう使い方の違いが起こります。だから生き方が全部変わります。
 まず自分がどのくらいプラスを持っているか知ってください。そうすると、友だちとつきあうときに、相手に気を使って嘘の自分を出す必要がなくなります。「私はこんなんです。こんな私でよければ好きになってください」と言えるから。第一、相手に気を使うというのは、「相手から良く思われているときだけ私は大丈夫だ」というものの考え方でしょう。相手から良く思われていようが悪く思われていようが、私は私のことが好きだし、私は大丈夫だ」。出発点はここです。そうして初めて、「こんな私で良かったら好きになってください」っていうのが出てくる。そうでないと、本当の友だちは作れないです。そうでなくて作った友だちは、全部こちらが偽物を売りつけて作ったお客さんで、詐欺商法の被害者です。(回答・野田俊作先生)

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