「平等」と「敬うこと」の関係
Q
横の関係でいれば怒りがないことはわかりました。私は祖父母とのつながりの中で、敬う心で接してきて、うまくいっていると思います。“平等”と“敬う”ということの関係を教えてください。
A
これは同じことなんです。平等ということは尊敬し信頼するということ。だって、自分は人から尊敬されたいでしょう。人から信頼されたいと思うでしょう。軽蔑されたいと思う人がいますか?いないですよね。ということは他人もそうです。だから、良い人間関係にあるということ、対等で協力的で平等な人間関係にあるということは、お互いがお互いを尊敬しているということ、お互いがお互いを信頼しているということです。お互いがお互いを軽蔑し合って対等というのは、あまり良くありませんね。両方が猜疑心と不信感に凝り固まって、それで対等というのはあまり良くないですね。そんなものはちっとも良い人間関係とは言えない。
相手と、例えばお爺さんやお婆さんと私とが、相互尊敬、相互信頼の対等の関係にあるのが望ましいんだと思う。どうやったらそうなると思いますか?
私がお爺さんやお婆さんを尊敬したり、信頼していたら、いつかは向こうもこちらを尊敬したり信頼したりしてくれるかもしれませんね。私がお爺さんやお婆さんを軽蔑し、不信感を持っているのに、向こうがいつかはわれわれを尊敬したり信頼してくれるということはないだろうね。だからお互い同士に尊敬し合おうとしたら、まずこちらが始めないと仕方がないですね。
学校だってそうで、生徒から尊敬されたいし、信頼されたいという先生は、まず生徒を信頼し尊敬しなければいけない。生徒のことを軽蔑していて不信感に凝り固まっていて、「こいつは放っておいたら絶対に悪いことをするぞ」と思っていて、それで教師を尊敬してくれというのは虫が良すぎる。夫婦間でもそうです。奥さんに尊敬されたいと思っている旦那さんは、奥さんを尊敬しなかったら駄目です。
だから、平等というのは、なぁなぁの仲になることや気安い仲になることということではなくて、自分の最も尊敬する人と同じように、すべての人を尊敬するということなんです。皆さんも尊敬する人がいるでしょう。その人と同じように自分の家族にも、お隣のおばちゃんにも、駅の切符を切っているおじさんにも接することなんです。(回答・野田俊作先生)