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スレッドNo.352

「ある時期が来たらできること」は今しなくていいか?

Q
 私は今、障害児学級の担任をしているんですが、できるだけ健常児に近づこうという発想で行動療法的なやり方をするのが一般的で、どうかすると訓練することになり、調教師が動物に芸を仕込むような感じになります。私は何か間違っているような感じがするのです。彼らもある時期が来て彼らの発達段階が来たらおのずとできるようになることを、無理に今しなくてもいいような気がするんです。

A
 それはノーです。それは間違っています。あるトレーニングをしたらできるようになるということがわかっていて、それをしないで自然の発達に任せようというのは犯罪です。それは健常の子でもそうなんです。あることを教えてあげればできるようになるのに、みすみすそれがわかっていて教えてあげないというのは、教育の責任を果たしていないんです。
 大事なポイントは、達成できる“過程”を子どもが楽しめばいいんです。そして達成できたことを子どもが喜べるようにしてあげる。工夫はここにあります。僕たちが子どもにあることを教えて、子どもがそれをできるようになって、こっちだけが喜んではいけない。子どもと一緒に喜び合えるような状況を作れば、子どもはそのトレーニングをすることが楽しくなります。良い行動療法家はすごく楽しい治療をします。
 大阪にSさんという重度自閉症治療の天才がいますが、彼の治療はとても楽しいんです。行動療法にも下手な行動療法家と上手な行動療法家がいます。いつでもそうです。行動療法がいいとか悪いとかというのではなくて、下手な行動療法は駄目だし、いい行動療法はいいということ。大阪には行動療法の名人が多いです。彼らは見事で、ビデオを見ていても行動療法をやっているという気がしないんです。ほとんど普通の遊びのように思えるんだけど、子どもがどんどん変わっていく。感動しますよ。下手な行動療法家がやると、いかにも行動療法らしく行動療法をします。
 障害者の人には、まだ子どもの時代に、僕たちの言うところの“生活力”をできるだけ身につけさせてあげたいですね。自分で着替えができるとか、身の回りの世話がきちんとできるようになるとか、それから友だちとあまり暴力的でなく関係を持てることとかいうのは、とても大事なことです。算数ができるようになることよりも、まず生活力が優先です。身辺自立が優先です。それを曲芸というふうに考えるのではなくて、生活力に結びついたことを教えていると考えたほうがいいですね。(回答・野田俊作先生)

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