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スレッドNo.354

人間関係を良くするために

Q 
 人間関係を良くするアドバイスをしていただけませんか?

A
□人間はお芝居をしている
 アドラー心理学では、夫婦関係にしても親子関係にしても、できるだけ自然な関係を作ろうとしています。アドラー心理学を「テクニック」として勉強するだけでは結局うまくいかないんです。口先で勇気づけの言葉とか、お願い口調とか、たくさん勉強しても、相手を尊敬していなかったら、すぐに見破られますから。
 人間というのは実はお芝居をしているんです。本当はそうではないのに、子ども時代からずっとあるお芝居をして、嘘を言って暮らしている。それをやめたい。子どもに対する愛情とか、あるいは配偶者に対する愛情とかいうものが、よくよく考えると、こっちの都合だったりする。
 子どもが登校拒否して親が心配しているとします。「子どもがこんな状態になって、親が心配するのは当然でしょう」と言うけど、よくよく考えてみると親の体裁が悪いのね。近所の手前とか。あるいは、学校のクラスの生徒の成績が悪かったりすると、先生は生徒を叱って、「勉強しなくちゃいかん」と言うけど、あれは同僚教師や校長に対する見栄かもしれない。そのように、僕らはごまかして生きている。われわれが、これが愛情だと考え、自然にそう感じるんだと思っていることを、一度ちゃんと反省しておいたほうがいいように思う。もう1回本当に人間と人間とが、信頼し合って、尊敬し合って、愛し合うとしたら、どんなふうに相手に言うかを考えてみよう。

□尊敬とは
 アドラー心理学では「愛情」とか「愛」とかいう言葉をまったく使わない。代わりに、「尊敬」と「信頼」と「目標の一致」と言います。なんでそんな言葉を使うかというと、「愛」という言葉はたくさん悪用されているからです。「これはあなたに対する愛情」だと言って、みんな残酷なことをしているから。でも、「尊敬」と言うとわかります。だから、まず自分の子どもを尊敬しているかどうか、自分の配偶者を尊敬しているかどうかチェックしないといけない。尊敬してなくて愛情を持っているわけがないですから。「愛しているわ」と平気で言える人でも、「尊敬していますか?」と聞かれたら、「ちょっとねえ」とごまかしてしまいます。その子が登校拒否をしていようが、非行をしていようが、神経症になっていようが、尊敬すべきだと思う。
 尊敬するとはどういうことかというと、自分の一番尊敬する(大事な)人と、同じような態度で接することです。すごく尊敬する人物に、「あなた、そりゃいけませんよ。そんなことをしていると、ロクな大人になれませんよ」とは言わないでしょう。変だと思うようなことをしていても、それはきっと何か深い考えがあってやっているに違いないと思ったほうがいい。
 これもアドラー心理学の基本的な考え方ですが、人間の行動にはすべて目的があります。無意味な行動というのはない。ある人があるとき神経症をやっているとしたら、その人は神経症をやる意味があるんです。神経症をすること、あるいは登校拒否をしたり、非行をしたり、あるいは大人なら浮気(不倫)をしたりすることが、その人が成長するために必要なんだということを、その人自身あるいは周囲の人が受け入れることができれば、本当に成長できます。それが悪いことだと思うとそこで止まってしまう。だから、この人生で僕ら自身に起こることは、全部成長していくために、生きていくために、必要なことだと思いましょう。きっと、問題を起こしている子どもには、深い深い本人すら意識していないような目的があるに違いないんです。だからそれを大事にしよう。

□信頼とは
 それから、信頼というのは決して裏切られることのないものです。それに対して、信用というのはよく裏切られます。こちらが信用していて、相手がそれにうまく応えてくれないと、裏切られたように思ってしまう。信頼しているというのは、相手が何をしていようと、「それはあなたにとって本当に必要だと思ってやっているに違いないんだ」と思うことです。白紙の小切手を渡して、あなただったら馬鹿な使い方はしないだろうと思い、それで若干無茶な使い方をしても、これにはきっと深いわけがあってのことだと思う。そういう意味での信頼ができるようにしたいです。それと同じ感じを他の人にも持ちたいんです。少なくとも自分の家族に対しては持っていたい。「そんなことはできない。あの人は何をするかわからない」と思っていると、本当にそうなります。われわれの思いというのは実現するからね。「うちの亭主はちょっと油断すると、何をするかわからない」と奥さんが思っていると、ご主人はちょっと油断すると、本当に何をするかわからない人になってしまうんです。「うちの亭主は大丈夫」と思っていると、絶対大丈夫な人になります。
 僕たちは、みんなが自分に何を期待しているか、敏感にわかるんです。人間は無意識的に他の人の期待に応えるんです。「うちの子どもは非行化するんじゃないかなあ、悪いことをするんじゃないかなあ」と親が心配していると、子どもは実際に非行化します。だって、「子どもが非行化するんじゃないかなあ」と心配するということは、この子は非行化するに違いないと思っているのと同じことですから。「うちの子はちょっと万引きぐらいするかもしれない。でも、根本的なところでは大丈夫だ」と思っていると、ちょっとぐらいするかもしれないけれど、それでおしまい。だから、白紙小切手が切れるくらいに家族を信頼しよう。

□目標の一致
 目標の一致というのは、尊敬とか信頼とかができてからの話です。家族共同体とか、学校のクラス共同体とか、職場共同体というのは、個人個人が違う目的で生きているけれど、みんな一緒の部分がないと成り立たない。結局われわれは、最終的には、どういうことを成し遂げたいのか、ぜひ話し合う必要があると思います。人間関係がこじれるのは、目標が一致していないときです。必ずそうです。夫婦がこじれるのは、奥さんが描いている人生の目標と、ご主人が描いている人生の目標が違うからです。親子がこじれるのもそうです。だから、結局どうなりたいのかということを、やっぱりイメージする必要があります。
 家族の目標として、私のお勧めは、“毎日平和に暮らせること”。育児の目標は、“子どもが親を見限って家から出て行くこと”。学校教育の目標は、“世の中で(なるべく)ひとりで生きていける力をつけること”。生活指導の先生に取り締まられなくても。そこのところがよくわかっていると、すごく楽です。
 家族全体を考えてみると、はっきり目標がないですね。家族全体がどこにたどり着かなければならないかというと、お墓しかないんです。だから、家族の目標というのは、未来にあるんではないんです。毎日毎日にあるんです。今日1日をどうやって楽しく平和に暮らすかというのが問題なんです。そう考えていくと、育児にしても、親を見限ってひとりで暮らせるようになるためには、未来の遠い先の目標ではなくて、その瞬間瞬間にあるんです。今ここで、この子がひとりでできることはいったい何か。このことが未来にずっと続いていって、やがて本当に人に頼らなくなるんです。今ベタベタに干渉しておいて、きっと将来自立するだろう……そんなことはない。
 学校の教育もまったく同じで、イヤがる子どもに無理やり教えていたら、その子は将来自立できるか?できないでしょうね。
 目標というのは、未来にあるように見えて、実は今日現在にある。「今どうするか」だけが問題です。それが明日につながっていく。未来のことを考えると、「将来こんなふうにしよう」とか、「こんなことが起こったらどうしよう」とか、いろいろ用意をするようになる。すると、きっと今日現在を失うことになります。準備ばかりしていて忙しいから。

□「この子のために」という発想
 子どもが、「ねえ、何かして遊んでよ」とか、うるさく言ってきます。ここで遊んでやったりすると甘やかすことになるとか、要求ばかり聞いていると悪い癖がつくとか、いろいろ考えます。これは「考えが“現在”にない」んです。
 子どもが「遊んでよ」と言ってきて、「考えが現在にある」にはどうすればいいか。「自分は遊びたいか遊びたくないか」を考えるんです。簡単でしょう。今遊びたいか、遊びたくないか。子どものために遊んであげたり、遊んであげなかったりするんじゃなくて、自分が遊びたいか、遊びたくないかで動けば、それは正直です。でも、ここで遊んでやったほうがいいだろうとか、遊んでやらないほうがいいだろうとかというのは、初めから嘘なんです。それで起こることはすべて嘘です。そこには、本当に「生きている心の交流」は起こらないんです。
 気持ちを通じ合わせるとか、気持ちがわかるということを世間でよく言うけれど、アドラー心理学ではあまり言わない。じゃあ、何と言うか。「相手の要求は何か」、「自分の要求は何か」、「その要求が違うときにどうふるまえばいいか」ということを言います。子どもが「遊んでよ」と言っているときに、子どもが「遊んでよ」と言っているのだということをまずはっきりとわかること。遊んでやったほうがいいか、遊んでやらないほうがいいかなどはわからない。とにかく、口ではっきりと「遊んでよ」と言っているんだから遊んでほしいんですよ。何にも言わないんだったら、別に要求がない。だから、素直に言葉に出されているものをまず何よりも信じたいです。そして、自分が本当はどうしたいのか、どうしてあげたいのかを優先的に考えたい。そうして初めて対等な人間関係になるんです。例えば、外出しようと思っているときに、子どもが「外に行かないで」と言うから、「それじゃあこの子のために行かないでおこう」というのは対等ではない。どっちが上か?子どもが上に見えて、実は親が上なんです。子どもが親を支配しているように思えるけれど、「この子は弱い子だから、私が守ってあげなければいけない」と親が思っているわけで、精神的に親が上です。これは、やっぱりまずい。
 「すべてのトラブルは目標の不一致から起こる」と言いましたが、同じことですが角度を変えて言えば、「すべての不一致は人間関係が対等でないことから起こる」んです。0歳児だって、僕らとまったく対等な人間、仲間だと思ってください。もちろん、中学生・高校生だと当然そうです。そんなふうに考えたら、トラブルはいつも最小限度ですむ。横の人間関係ですから、すごくナチュラルでシンプルです。
 だから、みなさんが日常やっていることのほうがよっぽど複雑怪奇です。「この子のために」という発想を、心の壁から取り外しさえすれば、とても楽に生きられるようになります。(回答・野田俊作先生)

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