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スレッドNo.367

自分の使命

Q
 「好きな仕事」「やりたい仕事」というのが自分の使命でしょうか?

A
 わかりませんね。われわれはこの世に生まれてきて、いろんな出来事に出会っていくんです。その中で、私の願いもあるけど、まわりの願いもあって、いろんな人間が絡まって自分の人生ができてきます。
 私(野田)は今、たまたまアドラー心理学を教えています。でも、生まれたときからアドラー心理学を教えようと思っていたわけでもないし、中学生や高校生のときに思ったわけでもないし、大学のときに思ったわけでもない。大学の医学部にいたころは、無医村のお医者さんになりたかったんです。
 それで、無医村のお医者さんになれるように、卒後研修を大阪大学の微生物病研究所というところに行って、普通の内科じゃなくて熱帯病とか寄生虫病とかの研究ができる施設でお勉強しました。最初に持った患者さんが、何しろサナダムシですから、日本の医者としてはかなり珍しいです。日本脳炎なんかも診たし、ちょっと変わった内科の先生を一時していました。で、無医村へ、特に南のほうの沖縄の孤島とか、ひょっとしたらもっと向こう、フィリピンかアフリカとか暑いところの無医村で一生暮らそうと思っていました。そう思っていたら、そのうち、たまたま結婚しました。結婚したら奥さんが、「無医村なんて絶対イヤ!」という人だった。「あらまあ」と動けなくなりました。
 その動けない状態で考えているうちに、5年内科をやって気がつきました。自分がものすごいヤブだということに。あんまりすごいヤブだから、内科をやめたほうがいいと思って、それで精神科医になりました。精神科医になりたくて医学部に行ったわけではない。内科不適応で精神科に行った。
 精神科でいろんなことをやっていましたが、統合失調症の患者さん、できたてホヤホヤの失調症の患者さんに対して、どうしたらいいのかわからない。古くなった患者さんならわかります。今狂ったばかりという人が入ってくると、全然話が通じない。警察に連れられたり、救急車に乗せられたりして、ものすごい混乱状態で入院してきます。最初、2、3週間から3、4週間、ほんとに狂乱状態になっているんですが、そこを何もしないで見ているのも芸がない。それで、何かいい本はないかなと思っているときに、私の先生のシャルマンという人が書いた統合失調症(当時の言い方では精神分裂病)の本があって、それが良かった。それで、手紙を書いたら、「こっちに勉強においで」と言われて行ったら、たまたまそれがアドラーだったんです。それでお勉強しているうちに、統合失調症がどうでもよくなり、アドラー心理学だけ残り、アドラーマニアになりはてて、こんなになっちゃいました。
 高橋さと子さんが、石垣島で育児コースをすることになりました。「そんな遠いところにおばさん1人で行ってはいけない。みんなで鞄持ちに行ってあげよう」ということになって、5人が鞄持ちでついて行きました。
 そのときつくづく思いました。ひょっとしたら私は、この石垣だとか、波照間だとか、与那国だとかいうところで、医者をしていたかもしれない。もしそうしていたら、日本にアドラー心理学はなかったかもしれない。わからんもんだ。これは仏様のおはからいとしか言いようがない。
 何にも私の意志で動いてない。私が無医村に行けなかったのは、たまたま奥さんが田舎嫌いの人だったから行けなかっただけで、私が内科医をやめたのは、たまたま私がヤブだったり、精神科に知り合いがいて、「精神科に来ないか」と言われたという因縁があったからだし、アドラーを習ったのも、アドラー心理学がやりたいからやったわけではなくて、統合失調症の患者さんと関係して、一種の悪戦苦闘の中でたまたま見つけたにすぎず、すべてが外側から決まってきているような気がしています。だから、きっと他の人もそうじゃないかと思うんです。
 私の中で自然に、内側にある願いと外側の出来事との連鎖とが反応して決まってくるわけです。それが結局、この世の中で生きる私の人生の意味なんでしょうね。私は、何のためにこの世に生まれてきたのかわからないけれど、こうして決まっているんだろうと思っています。(回答・野田俊作先生)

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