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スレッドNo.401

過去の体験と似たことが最近あったが……

Q 
 最近、7人の仲間と外国に研修旅行に行きましたが、予想していたのと違い、緊張のなかなかとれない自分がそこにいました。まわりの仲間を見ると、自分とは違い、すっかりリラックスしてすべてを心から楽しんでいるように見え、そのギャップに劣等感を感じてしまいました。そうすると自分に自信がなくなり、話をすることが恐くなり、黙ってしまいがちになるという体験をしました。
 このときの感じって、35~40年くらい前に、1~2年で転校して(小学校から高校まで)新しい学校で過ごしたときと、同じような感じだと気がつきました。こういうことは関係があるのか、それとも、私がこじつけて理由づけをしているのか、よくわからなくなっています。

A
 こじつけてというのも変だけど、アドラーはこう言っています。「記憶は、現在の目的に応じて思い出される」と。だから、昔その出来事があったから、現在があるんじゃなくて、「現在こうだから、これに関係のある出来事はあったかな?……ああ、あれだ、あれだ」というふうに思い出しているんです。だから、記憶が原因で現在が結果じゃなくて、現在が原因で記憶が結果なんです。
 記憶なんかにこだわらないで、「じゃあ、代わりに今何をしたらよかったのか」を考えてみればいい。いつもアクション、体が何をするか、言葉が何をするか、筋肉が何をするかが、自分と世界を変えていくんです。いくら考えたって無駄です。考えは必ずしも外の世界を忠実に反映していません。「こうやったら、うまくいくはずだよ」と言っても、うまくいかないことはいっぱいあります。
 私は、理科系大学の出身ですから、大学生の間も、大学を出てからも、“実験”をよくやりました。“実験”というのは、自分でまず計画を立てます。「こうこうこうしたら、こうなるんじゃないか」と思う。でも、実験したら全然そうならない。全然そうならないから実験するわけじゃないですか。実験する前に考えて、こうやったらこうなるはずだとわかって、そのとおりになるんだったら実験しなくていい。
 人間関係もそうで、「こういうふうにやってみたらどうだろうか、ああだろうか」と考えてみたことは、実験してみないとアテにならない。例えば、子どもがご飯をしっかり食べてくれて、「まあ、全部食べてくれてありがとう」と言うと、きっと子どもは喜んで、勇気づけられて、お母さんにニコッとするだろうと思った。そこで、子どもがご飯を食べたときに、「まあ、全部食べてくれてありがとう」と言ってみた。ところが、実際には、「これが悩みなんだ。これでまた太るんだよ」と、子どもは言うかもしれない。あるいは、「食べてくれてありがとう」と言うと、憎たらしいことに、「お前に感謝される筋合いはない。俺が勝手に食べたんだ」と言うかもしれない。
 実験しないとわからない。失敗だったら、また別のアクションを考えればいい。人間関係というのは、そうやって変わっていくんだと思います。
 こういう、集団の中に溶け込めないというのは、今まで見ていてだいたい答えはわかります。100%そうではないかもしれないけれど、たいていは「人の話に興味を持たない人」がこれに陥る気がします。みんなと一緒にいて、自分が何かしなくてはいけない、自分がイニシアティブをとって、面白いことを言うとか、みんなを笑わせるとか、みんなに聞いてもらうとかしないといけないというところで苦しんでいるみたいです。それをやめればいいんです。
 他の人たちの話を、興味を持って聞くお稽古をすればいい。だから、海外旅行に行ったのなら、旅行先で、「今日、どうだった?」と聞きます。そしたら、誰かがしゃべるでしょう。「そうかそうか、そういう見方もあるんだ。自分は見逃したけど、他の人はそんな体験をしたんだ」「あそこはそんなに良かったのか」とか、そんなふうに人の話を面白がって聞いていると、必ずとけ込めるようになります。
 人の話を聞く力というのは、すごく大きな力です。アドラー心理学を学ぶと、だいたい最初に1つの技術として、聞き上手の技術として、人の話の聞き方を学ぶけれど、技術よりももっと向こうにある、他の人の話に興味を持つこと、アドラーが言ったとおりに言えば、「他人の関心に関心を持つこと」を、われわれは学んでいかなければならない。「他人の関心に関心を持つこと」というのは、アドラーが言った“共同体感覚”という言葉の1つの定義です。
 私は、電車の中でも、隣に座ったおにいちゃんとおねえちゃんが話しているのを結構盗み聞きしています。面白いことを言っています。人間がしゃべっていることって、とても面白いことが多い。だから、家族が話していることとか、おじいちゃんやおばあちゃんが話していることとか、いろんなことを一生懸命聞きたいと思います。
 私は釣りが好きですが、今の季節、3月1日から9月30日までは、渓流で釣りをしますから海には行かないんですが、10月1日から2月28日までは禁漁期になるので、海に行きます。渓流では1人で釣りをしますから、誰とも会わないけど、海にはたくさんの人がいます。海に行って波止場にいると、いっぱいおじちゃんたちが釣りをしていて、これが面白い。何か、「ああでもない、こうでもない」と話している。
 だいたい、おじちゃんたちは家で邪魔にされています。奥さんとか子どもたちに放り出されて、みんな行くところがないから、しょうがなくて波止場に来て、釣れもしない魚をじっと待って、その間暇だからみんなでおしゃべりをしている。そのおしゃべりを聞いています。そんな波止場にいると、身分・階級がない。大工さんでも、日雇い労務者のおじさんでも、お医者さんでも、学校の先生でもみんな平等、同じ釣り人。そこでの話って、まあみんな1杯飲んで話をしてるし、ちょうど立ち飲み屋で話をしてるみたいで、たとえ何も釣れなくても、1日おじさんの話を聞いているの、好きです。この間、沖縄で釣りをしました。そしたら、沖縄の人って、方言で話すから、残念なことにひと言もわからなかった。
 他の人の話に関心を持つ。つまんない話をみんな一生懸命しているのは、きっと面白いからで、それを聞くというお稽古をすると、集団に溶け込めるようになると思う。子どもたちも集団に溶け込めないで悩んでいる子がわりといるので、みんなそうやって教えます。自分で何かしようとするんじゃなくて、相手のお話を、とにかく面白がって聞くというのをお稽古してみましょう。(回答・野田俊作先生)

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