離婚すべきか仲良く暮らすかの基準は?
Q
離婚すべきか、努力して仲良く暮らすべきかの選択の基準は何で決めればいいでしょうか?(そんなんないと思う。)相手の欠点を見ず、自分次第だという話なら、私たちは誰とでも結婚でき仲良く暮らせるということではないでしょうか?
A
ほんとはそうです。ほんとは誰とでも結婚できて仲良く暮らせるに近いと思う、実は。あのー、昔そうだったもの、まず。まわりのシステムが整いさえすれば、たいていの男とたいていの女は一緒に暮らせるのではないかと思う。だからそんなに難しくないんです。みんながわがままを言わなきゃね。ちゃんと学んで、この人と一緒に暮らすんだよって両方が決心してね。今までの暮らし方は、恋愛というような動物的な本能を愛だと思い込んで、欲を愛だと思い込んで、それに頼って結婚して、そのあと夫の収入と妻の家事労働をアテにして暮らしてきたけど、それは根本的に間違いだった。結婚というものについて、ちょうど育児について学び直したように、もう一回勉強し直す必要があると両方が認識して、きちっと学べばたいていの夫婦はうまくいくと思う。十組いたら八組・九組はうまくいくと思う。今までうまくいってなくてもね。だからそれはそう思います。離婚するかどうかというのはわかりません。僕らの関与することじゃないから。カウンセリングする側は、ある夫婦が離婚したほうがいいのかしないほうがいいのかを一切判断しません。だって、それはその人たちの人生の決断で、僕たちが何かの意見を言うべきことじゃないもの。だから「あんた別れなさい」も「別れずに添い遂げなさい」も言いません。それはそっち側が「別れます」とか「別れずに添い遂げます」と言えば、じゃあわれわれはそれに向けて何か作戦を立てましょうかということだと思うんです。カウンセリングする側に決められることと決められないこととがあると思う。人生の根本的な方針というのは、僕たちが決められないと思う。ある夫婦に「あなた方、努力したらいけますよ」と言っても、それでも「別れます」と言ったら、「ああそうですか」で、それはもうしょうがない。別れるというなら別れてもらう。離婚す「べき」もない、仲良く暮らす「べき」もない。離婚し「たい」と仲良く暮らし「たい」とがあるんです。私としては、仲良く暮らし「たい」と願い、仲良く暮らすことにエネルギーを投資しようと決心し、そのために理解し訓練するだけの努力を注いでくださるほうがありがたいんです。そうすればたいていの夫婦は何とか暮らせるんです、かなり。今思っているよりもずっと幸せに暮らせるだろうと思うんですが、それはそうであってもイヤですなら、話はない。(回答・野田俊作先生)