子どもの喧嘩をほうっておいてもいいか?
Q
子どもの喧嘩を放っておいてもいいのでしょうか?3年生くらいだと大きな怪我をすることはありませんが、5年生くらいになると恐い気がします。治る怪我はいいけど、取り返しのつかないことになると困ります。また、他の子がただの傍観者になってしまうのではないか、子どもの中に腕力による序列がついてしまうのではないかと気になります。
A
これ学校の先生なんだな、きっと。
アドラー心理学はユダヤふうで、契約思想です。契約がないと動かない。この場合も契約がないから動かない。「子ども1」がいて「子ども2」がいて、「子ども1」と「子ども2」に喧嘩というコミュニケーションがある。そして「大人」がいる。大人と、喧嘩している子どもたちとの間に、何も取り決めがない。「助けてくれ」とも「手伝ってくれ」と言われてない。そうすると、「これは子どもたちの課題だ」と言う。
まず自分の課題と相手の課題とを分けたいと思う。スマイル(パセージの前身)では「課題」、カウンセリングでは「責任」という言葉をよく使う。自分の責任と相手の責任。喧嘩というのは、子どもたちの責任でマネージすべきことです。喧嘩もそうだけど、怪我させないようにマネージするのも子どもたちの役割で、それを学んでいかないといけない。
だいたい普通の発達で、中学に入ったころに自分が相手を傷つけるくらいの力を持ったことに気がついて、暴力的な喧嘩はほぼなくなっていくんです。それまでは力がないのでわりと安全に喧嘩をする。喧嘩をすること自体は正常な発達ですよ。猫や犬はしょっちゅう喧嘩をするでしょう。それは別に異常な事態ではない。動物が子ども時代はそうやって育つもの。それは別に困ったことではない。喧嘩のマネージメントができるのは大事なことですね。
私は喧嘩は強いんです。合気道3段です。今は弱いけど昔は強かった。喧嘩が強いのはすごくいいことです。というのは、絶対に喧嘩をしないですむから。ムチャクチャ自分は強いから、したら絶対に勝てると知っているから喧嘩をしない。したら相手をころ
すかもしれないから。威張っている上司とかがいても、最後暴力になったら俺が勝つと思うから、しない。喧嘩が強いのはいいことね。空手、ボクシングを習うのはいいことね。それで人間が乱暴になるとは思わない。
喧嘩そのものは別に問題だと思わない。子どもたちはマネージメントができるだろうと思う。できそうにないなら、お話しておけばできるようにだろう。
喧嘩のやり方があるんです。髪の毛引っ張ったらいけない。殴るのはいい。ぶん投げるのもいい。日本人はあまり蹴らないけど、韓国人は蹴る。テコンドーの影響か。そういう何とない子どもの間の喧嘩のやり方のルールがあって、まあ卑怯なことはしないということがわかる。わからなければ大人が教える。「喧嘩してもいいけど、つねる、髪の毛引っ張るは駄目で、殴るか投げるか、せめて蹴るくらいにしてね」とか。「相手が泣いたら終わり」。それさえできていれば、別に頼まれないのに口を出すことはない。あとは全部子どもの課題です。教育的責務は果たしたから。「つねったらいけない」と教えましたから。
それでも、怪我させるかもしれない。心配でしょうがない。それは自分(あなた)の課題です。子どもの課題ではない。喧嘩で大怪我したなんてことは普通ない。小怪我はあるけど。それでも心配でしょうがないなら、“心配性”という自分の課題を自力で克服しないといけない。自分の心配をなくするために子どもたちに喧嘩をやめさせるのを、「課題の肩代わり」と言う。本来自分が自分の責任ですべきことを他人にさせているので、とても良くない。そういう意味でこれは放っておいていい。いくらか基礎知識さえ子どもにあれば。
契約になることがあるんではないか、共同の課題になるんじゃないかという意見もある。それには僕は反対です。ならないです。負けた「子ども1」が言いつけに来た。「いじめられた」と。勝った子は「勝った-」と言いつけに来ない。これで共同の課題になったから、じゃあ、いじめたほうの「子ども2」をやっつけに行こうというのは、あまり共同の課題になってない。「いじめられた」と言ってきたら、確かにその子は喧嘩を話題にしてきた。だから話題にはしましょう。でも共同の課題になったのは、言いつけに来た「子ども1」と大人の範囲だけです。「子ども2」は関係ない。この「子ども1」が喧嘩に勝つ方法を、逃げ方を教えるのがフェアで、「子ども2」のところへ行ったらフェアでない。ここだけで解決しないといけない。両方が来て、「どっちが正しいか判断して」と言ったら、それなら、してあげたらいい。そんなことは滅多にない。だいたい片っ方が言いつけに来る。
学校というところは、「現場の実情がある」と言う。それは私の知ったことではない。現場の実情は自分で悩んでください。アドラー心理学の側には妥協しなけりゃならない理由はない。アドラー心理学はアドラー心理学の原理で押し通す。それ以上のことはそっち側でやってください。