横関係で親から子どもに伝えるべきこと
Q
軍隊では目標の一致がとれたときは縦関係ではないことは理解できました。夫婦間でも何かありますか?親子関係において目標の一致は難しいと思うのですが、横関係でありながら親として伝えるべきこと伝えたいことについて、もう少し聞かせてください。
A
例えば、お勉強について子どもと話したいんですよ。「あなたは結局どうしたいの?」。大体話はここから始まります。僕はよく「日本の親」と、こう言うんです。われわれは「日本の子」を育てるんです。「日本人の大人に君はもうすぐなるわけで」、この国の中でどういう役割を担いたいんですか?」と、こういう切り出し方をする。この切り出し方そのものがかなりテクニカルで、すでにある方向を決めてしまっている。国のため人のために役に立つ人間にならないといけないという前提で話をしている。これは何かというと、「あなたの好きなように生きなさい」とか「あなたの趣味に生きなさい」ということはまったく初めから話にならないということを言っている。「この国の中でこの国を生き延びさせるために、円滑に運営するために、あなたは何をするのか?」とまあ聞くわけです。こう聞くと、子どもは何のことやらわからないから、「大きくなったら日本人としてどんなことをしたいですか?」と言う。そうすると、「医者になる」とか「エンジニアになるとか」。とても結構。「そのエンジニアになるとしたら、どんなコースがあるか知ってますか?」と聞く。大体知らない。みなそんなふうにものを考えてないから。まあ、今の制度の中では、エンジニアになるには工業高校という手が1つある。工業高専という手もある。大学の工学部という手もある。どの学校を出たかでもって、将来の企業の中での位置が大体決まる。大学の工学部の大学院修士課程とか博士課程を出ていると、大体指導的なエンジニアになって、たくさんの人たちを指導しながらチームのボスになっている。工業高校を出ていると、あまり責任を取らなくていい代わりに、「これやってね、あれやってね」「ハイハイ」と言って使われる。「あなたの一番いいのを取ってもらえばいいよ」と言うと、子どもはしばらく考えます。大体の子どもは野心が大きいから大学へ行くことになる。あまりディスカレッジしてなければ。大学院のできたら博士課程まで行こうよということになれば、まあ大学へ行かないといけない。工学部というと理系ですね。そのまま大学院までつながっている工学部はあまりたくさんない。文学部とかこのごろ流行の国際関係学部とか人間科学部というとどこにであるけど、工学部ではというとわりと少ない。工学部へ行くためには高校へいかないといけない。高校も選択範囲が狭まる。理系の工学部へ行きますという線で高校を選ばないといけない。「ところで君は中学1年生です。毎日どうすればいいでしょうか?」「勉強せんといかん」「勉強するについて、親にできることはあるか?」「しばらく自分で勉強してみるわ」。3か月くらいして一向勉強しているふうでない。テレビ観たりして。それだと、もう1回話をします。「この前、工学部へ行くことになってとてもいいことだと思うけど、目標に向かって努力できていると思いますか?」「努力足りないと思いますね」「どうやったら努力できる?1人の力でできるか、塾へ行くとか、家庭教師をつけるとか、親が毎日うるさく言うとか、何かできることがありますか?」「塾行ってみようか」。「塾行くについてはお金を払わないといけない。ただではない。もし大学院へ行っていただくと、計算上は塾の費用がこれだけとしまして、高校がこれだけで、大体これだけです。だから君に対する投資が350万円です。これから6年間。その350万円についてはどうしてもらえますか?」。大体、働いて返すと言う。先行投資です。あとで回収できるという見込みがないと、親としてはあまり投資したくない。全然見込みのない下がる株は買いたくないでしょう。教育というのは完全に投資なんです、親の立場からすると。僕たちが歳取ったら働けなくなります。今この国は、はっきり社会主義国家なんですよ。所得格差是正ということを戦後ずっと言い続けてきました。自民党も野党も言い続けてきて、極端な格差是正をやったので、超貧乏人と超金持ちの所得格差が100倍ない。アメリカだと1万倍くらいある。だからこの国は結局貧乏人の国なんです。僕たちの老後の保障もほとんどない。年金だけでリッチに暮らせるほどの年金をもらえる人はいない。子どもが僕を養ってくれるのは計算に入れておかないといけない。働ける限り働きたいと思うけれど、働けなくなる時が来る。子どもに養ってもらわないといけない。そのために僕らは投資をしている。おばあちゃんになってもおじいちゃんになっても、ちょっとくらい贅沢したいじゃない。毎日たくあんと塩昆布で茶漬けというのもイヤなんで。もうちょっと何か食べたい。どうやったら食べられるかというと、今350万円払うか払わないかです。これは年金の積み立てなんです。ここは子どもに自覚してもらいたい。親は子どもに当然金を払うべきなんかじゃないんです。子どもの人生計画に僕らが賛成して投資するので、彼が工業高校を出て使いっ走りになるのはかまわないんです。投資は安いけど回収も安いから、もうちょっと回収できるところへ行ってくれたら嬉しい。だから子どもを子ども扱いしなきゃいい。子どもをちゃんと僕たちと同じ目を持って、尺度でものを計れる人として扱えば、大体10歳になれば、発達上で言いますと思春期に入るころには、完全に大人と同じように考えることができるので、僕らの話は通じます。「お年玉ちょうだい」と言ったらあげるけど、「ちょっとしたら返してね」と言う。これは投資なんです。