強迫神経症も目的があってか?
Q
強迫神経症の症状も目的があって作り出されているのでしょうか?
A
すべての行動には目的があると、アドラー心理学は考えます。すべてだから目的のない行動はない。目的と言わないで、すべての行動には理由があると言うと、全心理学が賛成します。なんでかというと、もしも理由のない行動があると、心理学が科学として成り立たないから。理由のない運動があると、物理学が科学として成り立たないように、すべのものには曰く因縁があって、理由があるんだよというのは、科学者が持っている1つの迷信なんです。まあ基本前提なんです。理由のない行動は1個だけにすればいいんですけど、僕は屁理屈をこねるから、「実はこんな理由がある」と言います。フロイトの『日常生活の精神病理』という本があって、これが一応臨床心理学ですべての行動には理由があるという線をはっきり打ち出した最初の本ですが、フロイトが取り上げているのは、ど忘れとか言い間違い、言葉をちょっと言い間違うという類いのことです。あれにちゃんと生活上の理由があると論証でもって書いているんですけど、あんなの屁理屈です。フロイトがどんな論証をしたかはどうでもよくて、「すべての行動には理由がある」と主張したことがどうでもよくない、すごい大事なことで、初めて「臨床心理学は科学だよ」と言ったのと同じことです。多くの心理学者は理由イコール原因だと考えたんです。「すべての行動には原因がある」と考えたところから袋小路に入っていきました。なんで袋小路に入っていったかというと、心理現象は物理現象ほど単純じゃないから。多因多果で非線形ですごい複雑な因果関係の中で物事が起こるので、確かに理由あるけどそれを1個の原因に特定することができないから、すべての行動には原因があるという心理学は成功しません。アドラーは「すべての行動には目的がある」と言い直しました。目的というのは何かというと、それは要するに相対的プラスのことで、優越の位置のことです。優越の位置というのは生物学的に言えば生存で、社会学的に言えば所属で、心理学的に言えばI should be~で、「私はこうでなければならない」です。それが目的です。そうしたら、強迫神経症の目的は、I should be perfect.です。「私は完全でなければならない」。逆に「私は決して失敗してはならない」。それは無理なんです。強迫神経症で洗浄恐怖で手をきれいきれいに洗う人の洋服って、大体汚いんですよ。机拭く人の床って大体汚いんですよ。エネルギーそんなにたくさんないから、ここをアルコールできれいに消毒したら、残りを消毒する暇がなくなって家の中は無茶苦茶汚い。でも彼らはあんまり気にしない。そこさえパーフェクトであればね。だから一応「私は完璧でなければならない」という目的はある。