「尊敬」「信頼」とはどんなことか?
Q
勇気づけができる土台に「良い人間関係が必要」とありました。また良い人間関係を持つコツに、「相互尊敬とか相互信頼とがいる」と言われたんですが、尊敬とか信頼とかは具体的にどんなものでしょうか。“尊敬さん”とか“信頼さん”とかがどっかにあるんでしょうか?
A
あのね、尊敬というのはどんなものかわからないんです。私はそう考えることにしています。ドライカースの本には、「あなたは誰かを尊敬しているでしょう。自分の子どもとつきあうときに、一番尊敬している人とつきあうようにつきあってください。そしたら子どもを尊敬していることになります」と書いてある。あれはわりとわかりやすい。
日本語の場合には敬語がある。英語は敬語があまりない。だから、「わりと丁寧語を使ってください」と言っている、子どもに対して。ぞんざいな表現をすると親しみがあるように思い、「丁寧語を使うとよそよそしいからイヤだ」と言う人がいます。まあ尊敬している人なんだから、尊敬している人に向かって言うような口のきき方を心がけてください。「この馬鹿!」と尊敬している人に言わないでしょう。丁寧に「この愚か者」でもおかしい。やっぱり、そんなことは言わない。今まで「この馬鹿!ほんとにあなたって馬鹿ね」と言っていたけど、もうちょっと丁寧に尊敬している人に対する口のきき方はないか絶えず考えてほしい。
信頼についてもそうです。「自分のほんとに信じている人に対してふるまうようにふるまってください」と、ドライカースは書いている。それもわかりやすいと思うけど、何かこう、「これが尊敬しているときの、信頼しているときの物言いだ」と言ってしまうと、みんな真似をするでしょう。落語にあります。全然お作法を知らない人が法事に行った。大家さんのするとおりにすればいいというので、大家さんがジャガイモを転がしたら店子(タナコ)も真似をする。形だけ真似してもしょうがない。
いつも考えることですが、尊敬するつきあい方と尊敬しないつきあい方がある。それはまだ何かまだよくわからない。なぜなら、私たちはこれまで、子どもを親や配偶者を尊敬しないで生きてきたから、あんまりやったことがない。これから学ばなければならないと、まず思う。いつも注意して、尊敬している信頼している口のきき方をし続けようと思う。ムカッとしてもやはり尊敬している口のきき方でムカッとしよう。張り倒してやりたくなっても、尊敬している人へのやり方で張り倒すにはどうするか。ちょっと無理だなあ。
いつも課題としてずっとぶら下げて暮らしたい。それが私の尊敬を教えるやり方なんです。ちょっとしんどいですけど。ひと月くらい、この人を尊敬しているかな、忘れちゃっているんじゃないかなとチェックしてほしい。そうするとだんだん身につくだろうと思っています。