別の人を好きになりたい
Q
何年も好きな人がいるのですが、そろそろ諦めて別の人を好きになりたいのですがうまくいきません。どうすればいいでしょうか?
A
これ今日言ってたやつね。別れて別の人を好きになりたい心と、実際には今の人とずっとつきあい続ける体とがあって、どっちがホンネかというと、つきあい続ける「体」がホンネなんです。だからそんなときは割り切って今の人とつきあうという手もある。もう1つは、割り切って別の人のほうへ体を向けるという手もある。どっちにしても、心の側の問題じゃないと思う。だいたい恋愛というのはこれも冒涜的なことを言うけど、大変生物学的な動物的な出来事でしょう。魂のレベルの出来事というよりは体のレベルの出来事で、昔僕そう思ってなかったんです。恋愛というものは清く尊い素晴らしいものだと、一応高校生くらいのころには国語の先生あたりがそんなことを言うじゃない。笠女郎(かさのいらつめ)が大伴家持(やかもち)に恋をして「君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも」と言うと、「この女発情している」なんて教えないじゃないですか。美しいことを言うんですよ。そうかいねと思っていたんですけど、大学へ入ったころに、渡辺一夫先生という昔の東大のフランス語の教授で、大江健三郎のお師匠さんだった人ですけど、その人のフランス文学の本をちょっと読んだんです。僕は渡辺一夫先生好きなんですよ。全集を持っているんですけど。そしたらね、「恋愛とは結局粘膜の問題だ」と書いてあったんですよ。凄いなあと思って感動してしまった。粘膜の問題を粘膜の問題と言わないで、いかにも美しく言うのが文学の文学たる値打ちで、ほんとは粘膜の問題だと書いてあるんです。僕そのとき深い悟りに達したんですけど、今も基本的にはそう思っていて、恋愛というのは生物学的なレベルのことですし、まあ動物的なことだろう。ただそれを人間はあからさまに「動物的なことだ」と言わないで、それを文学とか音楽とかで包むところが人間の人間らしさだと思う。包んでいるけどやっぱり包装紙は包装紙で、中身は包装紙とは別にあるわけで、頭で考えて「あの人好きになろう」とか「嫌いになろう」とかいうのはできないので、体が好きになるか好きにならないかなんです、結局のところね。つまり、肌触りとか体臭のレベルの問題なんです、究極的には。ということは、今の男をやめて別の男を好きになろうというのは、別の男を触ってみたりクンクン嗅いでみたりしないとダメだということではないですか、極端な言い方をすれば。そうすればすぐ他に好きな男を見つけられるかもしれない。考えていてもダメだと思う。