論語でジャーナル
41,子曰く、辞は達するのみ。
先生が言われた。「言葉は意味を伝達できればそれでよろしい」。
※浩→孔子は「巧言令色鮮(すくな)し仁」と言ったように、修飾・比喩・潤色が多い華美な文章というものも好みませんでした。それへの警告としこう言ったのでしょう。これが普通の説です。
荻生徂徠の説は違います。「辞」は特殊な言語で、外国へ派遣された使者たちが自国の君主の意志を、相手国の君主に伝える言語だと読み、それについての注意の言葉だと解釈しました。この立場だと、「外交辞令は、意味が通じればよいのだ」ということになります。貝塚先生の解説によれば、当時の外交官の問答は、博学を誇示するため故事を引用して修飾の多い文体が多かったそうです。それでは内容空疎で、無意味になってしまうおそれがあるので、孔子は、外交官ははっきりと自国の主張を打ち出し、それを相手国にわからせなければならない、と言っているのでしょう。小国の魯に生まれた孔子は、祖国の利害を正しく大国に伝えることが困難であることをよく承知した上で、こういう注文をつけずにいられなかったのでしょう。日本も、国土は小さく、ある意味で「小国」です。近隣に「中国」「ロシア」など文字どおり「大国」が存在します。それらの国との交渉には政府は苦慮しているでしょう。組織の中の「少数派」が「多数派」と接する際のヒントにもなりそうです。衆議院議員選挙では、野党の勢力拡大を図らないと、与野党のバランスが保てないとは思うのですが、1票投じようと思える野党が存在しないのがもどかしいです。結局、自民党が“圧勝”で落ち着いてしまいます。その自民党も“寄り合い所帯”ですから、内部から新鮮な力が育って、党全体が浄化されることを期待したいです。