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スレッドNo.60

支配欲

Q0301
 人をもてなすとき食器やテーブルセッティングなどにこだわるのは、周囲を仕切りたい人だと言われます。人を喜ばせたいと思う心の背景に支配欲があると言われます。趣味や好みや個性の表現で、押しつけがましくない限り、その人らしさというとらえ方をしたいと思います。趣味や好みにこだわり続けることは感性を磨くことに通じると思います。趣味や感性を磨くことをアドラー心理学ではどのように考えるのですか?

A0301
 難しいことを聞かないでよ。自分の分析をするのはやめたほうがいい。自己分析、自分が何をやっているかを分析するのはトラブルに巻き込まれたときする。子どもが無気力になって1日中寝ていると、それはトラブルでしょ。そのときはひょっとして私は何かしていると思う。子どもの無気力の片棒をきっとかついでいる。それは例えば、無気力でないように期待している、これが片棒だと思う。トラブルに巻き込まれてなかったら、何もしなくていい。自動車と同じで、変な音がしたり止まったりしたら修理屋さんに持っていく。快適に走っているのにしょっちゅう中を見て分解したらいけない。テーブルセッティングを美しく仕上げて、お客さんが「なんでこんなことする」と怒ったら、トラブルに巻き込まれたから考えます。お客さんが喜んだら、トラブルがないんだから自己分析しなくていい。
 支配性ってありますよ。当たり前です。生きているとは周囲を支配することです。生命の力とは何か。自分の都合に合わせてまわりを作り変える力を生命と言う。死んでいるものは周囲を作り変える力はない。物理法則で、石が落ちてきて下にある石を割ったとかいうのはあるが、あれは別に自分の都合に合わせて割ったわけではない。ライオンがシマウマを食べるのは自分の都合に合わせて食べている。お客さんが来て、私がお料理をたくさん作った。それは実は、みんなに「わーすごいね」と言われるため。「野田さんほんとに料理上手ね」と、優越感を持ちたいためなんです。それが目的なんです。別にみんな喜ばなくていい。僕がほめられればいいんです。突き詰めて考えればそうです。私の私利私欲で料理を作って、「私ってすごいでしょ」と言いたい私の私利私欲をみんなが利用して喜んでくれたらそれでいいじゃないですか。共存共栄で、私も儲かる、向こうも儲かる。お商売なんです。私の講演を聞いて、お金を払って、私は儲かった。皆さん方も損していない。私の話を聞いてたぶん儲かったんだ。支払いに応じただけの収益があるからみなさんおいでになる。くだらない話をしていると誰も来なくなる。それは共存共栄的でないから。
 すべての人間関係がそうなので、私もいいし、相手もいい。突き詰めて言えば私の支配性とか、私の私利私欲とかそんなものです。でもそれをみんなが喜んでくれればそれでいい。みんなが迷惑すればトラブルがありますから、そのときは分析します。
 趣味とか好みとかは私は大事だと思う。私はクラシック音楽が好きです。瞑想するんですが、だいたい普通の人は瞑想用のボーッとした音楽で瞑想する。私はクラシックをかける。ブルックナーの交響曲なんか。大きな音でシンフォニーがかかっていると私が瞑想しているんです。クラシック音楽は聞くのには修業がいる。歌謡曲はそんなに修業がいらない。クラシックがほんとに面白くなるにはかなり知識もいるし、聞き込みもいる。鑑賞眼、蘊蓄もいる。「これは若いときのバーンスタインだな」てなことを言わないと面白くない。コーヒーなんていうのも、友だちで凝っているやつがいて、「これはサントスがどれだけ入っていて、ルーマニアがどうの」とか、修業がいる。私は短歌を詠むんですが、短歌はものすごい修業がいる。書くのも修業がいるし、人のを鑑賞するにも修業がいる。5年も10年もかかる。
 そうやって僕たちの文化遺産、われわれの文化の美的な部分の判断力、鑑賞力はトレーニングしてやっとできるもので、それは大事にしていきたい。安易に誰にもパッとわかるものも一方でいるけど、ただ鑑賞するだけで美しいものがこの世にあっていいのではないですか。
 そういう点で、感性を磨くことはいいことだと思います。人間の3つの心の働き。理性で判断することと、悟性、見て感覚的にわかることと、それを鑑賞する力、昔、カントが言った(浩→実践理性、純粋理性、判断力)が、鑑賞する力は大事です。今の子どもたちはどうも、学校でクラシックを聞かせるためかと思うんですが、クラシック鑑賞力が落ちていて困る。電車の中でシャカシャカやかましいのを聞いている子がいるでしょ。(回答・野田俊作先生)

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