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スレッドNo.61

論語でジャーナル

2,孔子曰く、天下道有れば、則ち礼楽征伐、天子より出ず。天下道なければ、則ち礼楽征伐、諸侯より出ず。諸侯より出ずれば、蓋(けだ)し十世にして失なわざること希(まれ)なり。大夫より出ずれば、五世にして失なわざること希なり。陪臣国命を執れば、三世にして失なわざること希なり。天下道有れば、則ち政は大夫に在らず。天下道あれば、則ち庶人は議せず。

 孔子が言われた。「天下に正しい道(政治、秩序)が行われていれば、礼楽・征伐を行う実権は天子が握っている。天下に正しい道が行われていなければ、礼楽・征伐を行う権限は諸侯に握られている。諸侯がこの権限を握るときは、十代後にこの権限を失わないものは稀である(きっと失うということ)。諸侯の大夫がこの権利を握るときは、五代後にこの権利を失わないものは稀である。諸侯の陪臣が国家の政権を握っているときは、三代後にこの権限を失わないものは稀である。天下に正しい道があれば、大夫が政治の実権を握ることはなく、庶民が政治の議論を戦わすこともない」。

※浩→ここでは反民主的で封建主義的な身分制度を強調しているようです。人には身分や立場によってそれぞれが担うべき役割と責務があるという話で、分不相応な越権行為(謀反・叛逆)が繰り返されると国が乱れ人民が困窮します。最も正しい政治形態は、国を治めるべき天命を拝受した天子(君主)に政治の実権が握られている「君主政」で、諸侯やその家臣が天子の代わりに政治の実権を握る状態を指して「道が行われていない」と言っています。下剋上です。天命思想は、日本で明治維新を実現する原動力となった『王政復古・尊皇攘夷・大政奉還』などの思想・理念にもつながっていると考えられます。
 この図式はあまりにも厳しくて、ここの孔子の言葉が孔子の言葉かどうか怪しまれています。吉川先生も貝塚先生もそのお考えです。実際に周王朝の全国支配の権利は諸侯(覇者)の手に移っていて、諸侯の支配権はさらにその下の大夫や士に移ったりして、下剋上は加速度をもって進行していて、孔子はその将来を案じていたのは確かですが、ここまで厳しくなったのは、孔子の学説が弟子・孫弟子と伝わっていく間に次第に体系化されて図式が明瞭になっていったと考えられます。ここでは、「天下道あれば、則ち庶人議せず」とありますが、儒家の準経典の「国語」の「周語」には、「天子の政(まつりごと)を聴くや、公卿より列士に至るまで詩を献ぜしめ、瞽(こ:めしい)には曲を献ぜしめ、史には書を献ぜしめ(中略)百工は諫め、庶人は語を伝う」とあります。この教えに背いた周の厲(れい)王は放逐されて、王位を失ったそうです。孔子自身の政治の理想は為政者の「徳治主義」でしたが、後世になるにつれて、エーリッヒ・フロムの言い方を借りれば、“土着化”していったように思えます。1992年のアドラー心理学会総会は横浜で行われました。私はその前年の91年の@大阪市立大学から参加しています。横浜総会では、野田先生の「基調講演」が、「心理学における土着思想と反土着思想」でした。古今東西の思想が形成された時点(元祖)では、クリエイティブ(創造的)だったものが、時代とともに次第に土着化していくというお話を、仏教や老荘思想などを引用しながらお話され、その後、機関誌『アドレリアン』に投稿されました。一部を引用します。↓
  創造的な思想、批判的な思想はどのようにして堕落するか。エーリッヒ・フロムは、「創造的思想は常に批判的思想である」(『フロイトを超えて』)と言っている。いったい何を批判するか。当たり前ということを批判する。われわれの社会がこれは当たり前だと思っていることを疑ってみる。もう一度ご破算にして考え直してみること。
 創造的思想が文化の価値観を批判する時、それへの反動として、文化が本来持っていた価値観を擁護するための思想が形成されてきます。これを土着思想と呼ぶことにします。土着思想は、批判の否定ですから、「考えることをやめて、現状をそのまま受容せよ」と主張します。これが土着思想の基本的メッセージです。
 土着思想の例として、例えば、神道の思想をあげることができるでしょう。古代日本の文化的自明生が言語化されたものが神道ですが、これは仏教という外来の思想に触れてはじめて思想化されました。仏教が批判的創造的な役割を果たした時代があったのです。神道は、日本古来の価値観を反映していると思われますが、歴史的に見れば、仏教への反動としてはじめて言語化されたものです。以下、長く続きますが、ここでは省略します。

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