安楽に暮らしている娘
Q
娘はただ安楽に人生を送るのを選択して暮らしています(素敵ですね)。もちろんそこからいろんなことを学んでいるのでしょうが、彼女と接していて私は何かできるのでしょうか?結婚しています。これからも彼女は自分の個性で学んで選択していくのでしょうが、それはそれでいいのでしょうが、何かモヤモヤしています(まあモヤモヤするでしょう)。
A
あのー、僕のに娘も1人「海牛」の生まれ変わりではあるまいかと思う、のんびりした人がいるんです。昔、話をしたことがあるんです。彼女が思春期の真ん中、18,9のときかにお話したことがあって、「お父さん(僕ね)は勉強しすぎたと思う。凄いたくさんお勉強して、大学を卒業してからも研修医とか何とかいっぱい勉強して、40ちょっと過ぎたころに気がついた」って、「この人生の前半、間違った」って。「学校が許してくれるところまで勉強しておけばよかった。それ以上賢くならなくてもよかった。医学部なんかに行ったけど、全科目力入れてやることないんで、教授さんが卒業させてくれる程度に勉強しておけばよかった。皮膚科とか耳鼻科とか勉強したって、卒業したら『ああこれ耳鼻科の病気だから耳鼻科へ行ってね』と言うことしかしないんだから、中身知ってなくてもいいんだ。合格点ギリギリでみんな60点で済ませたらよかったのに、そこを真面目にやっちゃった。卒業してからも、どうせ死ぬに決まっている患者さんにちょっと力を入れて、一生懸命やり過ぎた。あんまりせんでも早う死んだし、しても早う死んだし、一緒やなと今になったら思う。そうやって一生懸命頑張ったもんだから、遊ぶということを忘れてしまって、自分の体の状態も悪くなったし、なんかいろんなことで間違ったと思うんで、40過ぎてから遊ぶことにしました。で、釣りしたり山登ったりして、遊び人生活をして、その合間にちょっと仕事して暮らすことにしたんです。あなたは若いときからそのことに目覚めてずっと遊んでいて凄い良い生活の仕方だと思う。まあ自分が食べられるだけは稼いでほしいと思うけれど、頑張って生きるだけが人間の生き方ではないと思うと、自分でやってみて学んだから、あなたが頑張らないで生きるのに私は全然反対しませんから」と言ったんです。そしたら彼女は「わーい」と言ってそのまま頑張らないで生きることにしまして、のんべんだらりと暮らしています。僕はもともとライフスタイル的に頑張る人ですから、見てると「もう少し何とかならんか」と思うんです。思うけど、それは彼女の人生の選択だし、彼女が四十いくつかになったときに、誰かに言うかもしれない。「私は努力しないでのんびり暮らしてきたけど、これもやっぱり良くないことがあって、これこれであなたももうちょっと頑張ったほうがいいかもしれない」と人に言うかもしれない。それならそれでいいじゃない。人間は万能じゃない、全知全能じゃないからベストな生き方なんかやれないんです。みんななんかどっか間違った生き方を選ぶんですよ。私の生き方だってベストじゃないんです。子どもの生き方もベストじゃないかもしれない。その中で自分の個性に合わせてある生き方を選んでいくわけで、それは社会全体の中でそういう生き方をすることが必要なんだと思うわ。ひがんでいて復讐的になっていて、ムキになって変なことをしているのでなければ、自然体でそうなんならそれでいいんじゃないですか。