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スレッドNo.635

味方であることと甘やかすことの違い

Q 
 子どもの味方であろうと決心することと甘やかすこととはどう違うんですか?

A
 甘やかすには3種類あります。1つは、賞罰をもってその子が将来苦労しないように躾けること。これ、甘やかしなんですよ。子どもの選択肢を奪い、われわれの思う方向へ子どもをねじ曲げて、親や社会が期待する人間に変えるというのは実は甘やかしです。子どもたちの未来を奪っているわけで、これはまあ普通はあまり甘やかしだと思われません。普通甘やかしというのはいわゆる放任育児です。放任には2種類あって、1つは溺愛型放任で、子どもの要求を全部かなえてあげることね。子どもの要求を全部かなえてあげると、子どもはどんどんバカになります。なんにも考えません。なんにも責任を取りません。もの凄い悪い育児です。もう1つは子捨て型育児です。子どもに興味を持つのを失って子ども以外のことに一生懸命になることね。この3とおりの甘やかし育児があります。この中で、子どもの味方になるのとこの方が混同されているのとは、溺愛型放任育児だと思うんです。アドラーの育児って無茶苦茶厳しいの。子どもに徹底的に責任を取ってもらおうと思うもの。子どもの失敗の尻拭いを僕らがしようと思わないの。子どもにはいつも「選択できない可能性」があると思うもん。子どもの側から言うと、大人としてずっと扱われているから、子どもとして扱ってもらえないから、その点でしんどいといえば凄いしんどいんですよ。僕たちは、子どもだからといって、まあ身体的な差はありますから、われわれとまったくおんなじようにできるとは思わないけれども、子どもだからといって必要以上に甘く育てる必要はなんもないと思います。そんなことをしたら子どもは育たないと思う。もちろん家の仕事も分担してもらおうと思うし、社会的な責任も取ってもらおうと思うし、自分の仕事は自分できちっとやってもらおうと思うし、子どもの課題に不必要に口出ししようと思わないし、子どもの失敗とかの責任をなるたけ子どもに取ってもらおうと思うし、うちの子どもがよその子を殴って、子どもの代わりにそのうちに謝りに行ってやろうと思わないし、宿題忘れて行ったら学校の先生に怒られればいいわ。私らがギャアギャアゆうて、「そんなことしたら学校の先生に怒られるで」とゆうてやることもないと思うし、ずいぶん違うと思うんです。

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