地球ガイヤ説
Q
地球ガイヤ説とベイトソンのシステム論の違い。
A
さっきベイトソンの理論には神秘性がないと言ったんです。生命があるということは別に神秘でもなんでもないので、「生命に見られる諸現象がある」ということなんですね。ところが命があるとか心があるとか言うと、それはすぐエゾテリックな異教的な神秘的なところへジャンプするバカたれたちがいるんです。いつの時代にも。すぐ「ガイヤ」だと言い、なんじゃらと言い、エコだと言い、いわゆるディープエコロジー。エコロジーには3つあって、ディープエコロジーとエコキャプタリズムとスピリチュアルエコロジーとあるんです。そのディープエコロジー、「縄文式時代へ帰れ」運動へ飛び込んでいくんです。凄いバカげていると思う。ベイトソンのもの凄い科学的にデカルト以来積み重ねられた科学的な言葉を使うことで、科学の持っている根本前提を突き崩したんです。彼の『精神と自然』という本の中に、「誰もが学校で習うことでしょうが」というこれがめちゃめちゃ面白いんです。誰もが学校で絶対習わないことがいっぱい書いてあるんです。ごく中学校的知識で今の科学の根本前提を次々ひっくり返して見せてくれます。ベイトソンは一切神秘主義とか漠然とした生命とか精神への信頼とかから話をしているんではなくて、完全に醒めた科学者の目で話をしていて、しかも世界のシステム性を言っているとこが僕らの魅力なんです、もの凄い。ただ、ベイトソンの思想はそういうやり方をするもんだから、難解だと思うんです。ベイトソンのゼミナールに出ていた学生さんたちが、1年間ゼミへ出て1年終わって、ゼミのテーマが何だったかわからなかったって。ベイトソンはずっとしゃべり続け。ゼミでいろんなことをやったけど、結局何をしたか誰も理解できなかったという有名なエピソードがあるんです。で、ベイトソンという人は多弁・多芸な人で、凄いいろんなものに関心を持つんです。例えば蟹の甲羅とかね。例えば木の葉っぱとかね。例えばどっかの村の儀式とかね。例えば統合失調症者の親の性格特徴とかね。例えば映画とかね。例えば小説とかね。それらを全部同じ原理で説明するの。蟹の甲羅から統合失調症者の親まで全部1つの原理で説明するの。さすが天才なんですね。そこにはだから神秘性がないんです。一切そういう神秘性を持たない理論を、しかもデカルトみたいに世界が死んでいるんだという意味じゃない理論を、世界がシステムとして生きているという理論を、「生きている」という言葉の定義まできちっとして、成長すること、進化すること、学習すること、発展すること、やがて死滅することという定義までして、作るところがベイトソンの良いところだと思うんです。あんまり熱に浮かされたガイヤ主義者とつきあわないほうがいいと思う。