理論から学ぶか体験から学ぶか?
Q
子どもたちはシステム論を理論から学ぶでしょうか?体験から学ぶでしょうか?
A
僕らは科学を理論から学びましたか?体験から学びましたか?もちろん両方で学びました。人間の学習は認知的な学習と、連合学習(=実際やってみる学習)と、モデル学習(=他人のやっているのを見たりしてやる学習)とぐらいからできていますから、PASSAGEに書いてあるでしょ。人間は学校へ行ったら先生のお話も聞きますし、教科書も読みますが、実際に「朝顔の成長を観察してください」と言われるわけで、そんなのを観察しもするでしょう。この次の時代には新しいカリキュラムをみんなが作っていって、その学び方を研究していくことになると思う。だって、今の学校教育だって300年とか400年かかってできた教育法なんですね。1つ1つみんなたくさんの教師たちが工夫してできあがっていって、それでデカルト・パラダイムを骨がらみで教えることにどうやら成功したようです。だからこの次もやっぱり時間がかかると思う。今僕たちは極端に忙しい世界に生きているんです。今何となく浅田次郎という小説家が私に「読め読め」と言うので読んでたんですけど、明治の初めにね幕府が崩壊して、お侍さんたちがどうやって生きていったかというのを書いた短編集があるんです。その中に、陸軍の軍人さんになって時計を持たされる侍の話があるんです。それで例えば「6時30分に来い」と言われても、彼らには全然ピンとこないんです。だって、昔は「いっとき」というのは、子(ね)の刻とか丑の刻とか暮れ六つというのは2時間単位なんです。「しばらく待ってください」と言われたら2時間くらい待てという意味なんです。例えば、「暮れ六つごろ会います」と言われたら、プラスマイナス1時間ぐらいの誤差があるんです。みな時計を持ってないから。それで何の問題もなく暮らしていたのが、軍隊ですから秒単位で全部決めなきゃいけないので、それで失敗する話があるんです。われわれは急ぎすぎていると思うんです。アイザック・ニュートンが『自然哲学の数学的原理・プリンキピア』という本を書いてからワットが蒸気機関を動かすまでに、120年ぐらいかかっているんです。ワットの蒸気機関からライト兄弟の飛行機が飛ぶまで200年近くとか150年ぐらいかかっているんです。とってもゆっくり発達していたの。この次もとってもゆっくり次の時代へ行くと思うんです。何もかもインスタントでできると、僕らは思い込んできたけど、「考え」はそんなに速く動かないわ。私は仏教学というものを勉強いたしまして、私のテーマは「空(くう)」という思想の変遷だったんですけど、最初に「空」を言った人がナーガールジュナという人で、だいたい2世紀ぐらいの人なんです。それにずーーーっとみんなが注釈を書き続けて、最後の注釈が1400年くらいにチベットのツォンカパという人が書いたのがたぶん決定版だと思う。1300年間くらい、師匠から弟子へ弟子から師匠へとずーーーっと討論を繰り返し注釈をつけていってやっと最後決着がつくというスケールでしか、人間は考えられない。インターネットがあろうが携帯電話があろうが、そのテンポでしか頭は動きません。だからそんなに慌てて新しい時代をイメージしなくても、みんなでのんびりゆっくりと相談していけばいいんじゃない?