一元論、要素論、全体論
Q
「このシート」(浩→現場にいないから何のことかわかりません)を説明をしてください。
A
はい。私のグループワークに出た人はみな、こんなん(シート)見たことあるんですが、まず「一元論」というのは、“見えないひとつ”があるんですよ、神とか仏とか星の運行とか。見えないそのひとつが世界全体を動かしている考え方だから一元論と言います。「要素論」というのは何もない。ただ分子とか物体だけが飛び交ってお互いどうしが物理法則で動いているという考え方。「全体論」というのは、全体のひとつの調和とかハーモニーとかがあって、しかもその「いちなるもの」がない、それを陰で動かしている「見えない手」がないという考え方。「生きた世界がある」という考え方。見えないものが動かしているというのは、西洋でも東洋でも、中世の考え方です。僕たちが思い出しにくい昔ですね。鎌倉時代とか室町時代に、いったい人々がどのように暮らしていたのか、凄い興味があって、本を読むんですけど、歴史学者自身が例えば網野善彦さんなんかが「わかんない」と言うんです。江戸時代はわかる。江戸時代というのは、われわれと直接に繋がっている時代で、街道があって街道のまわりに集落があって、集落のまわりに田んぼがあるんだと。でも鎌倉時代にはそういう塊まった集落がなくて、散村で家1軒1軒が凄い離れていて、それが荘園だとかで区切られていて、その中の人々の生活も大変複雑な宗教的な区分とか身分的な区分とかがあって、江戸時代とか明治時代とか近代と繋がっていないと言う。だいたい南北朝時代くらいを境にして、人間の暮らし方が根源的に変わってしまって、それを実感的に思い出して追体験するのが難しいと、歴史学者が言うくらいですから、僕らはとても難しい。喩え話として私の子ども時代の農村の生活は、例えばトイレが家の外にあって、土壁で造ってあって汲み取り式になっていて、バキュームカーが来るわけじゃなくて、肥だめに溜めておいて、発酵させて肥料にする。広い土間があってそこでいろんな作業をして、作物を庭先へ干しておいたりし、鶏がそこら辺をコッコと歩いているのをポンと首を切って食べたりするし、という生活をしていたわけです。それを僕の子どもたちに説明するのが難しい。僕たちはまだ記憶があるんです。実際実物を見たことがあるから。皆さん方の若い人はないかもしれないけれど、その暮らし方を子どもたちにありありと追体験できるように説明できない。それよりも鎌倉時代はもっとずっと遠い。中世の暮らしってわからない。でもその時代には、みんなが見えない大きな力が世界を動かしているとを信じていたことはわかる。それは絶対そうだった。ユング心理学はまさにそうだと思う。ユング心理学というのは、僕らの知らない大きな力が人間を動かしているととても強く信じている心理学だと思います。あれは極めて中世的だと思う。フロイトはその点ではいかにもモダンです。人間機械論で味も素っ気もなくて、よくまあフロイトとユングがしばらく一緒にいられたと思います。アドラーも一緒にいました。面白いですね。フロイトのところにアドラーもユングもいたんです。ルツボのようなところで、そこからパチッと3つツボが飛び散って、過去へ行ったヤツと現在にいるヤツと未来へ行ったヤツに分かれたんです。アドラーはフロイトとニーチェが上にいて下にいるように、フロイトとニーチェとマルクスから影響を受けました。アドラーがニーチェを超えているのはマルクスを読み込んだからだと思う。マルクスから大きな影響を受けています。ベイトソンはまだハテナで、これからです。みんなで読んでいこうと思います。