主夫の育児
Q
専業主夫をすることになりそうです。育児をする上で気をつけたほうがいいことはありますか?
A
ありません(笑)。まったくありません。アドラー心理学をしっかり実践するだけです、男であれ女であれ。アドラー心理学というのは「性別」がないんです。「男アドラー」と「女アドラー」とないんですよ。「男だからこうしなきゃならない。女だからこうしなきゃならない」という話をたぶんあなた方は聞いたことはないんです、私からは、他の人からも。男性性・女性性ということについてアドラーはちょっとだけ若いころに言っています。「女の人が自分の女性性を否定するのは悲劇だ」って。だから、自分が女性であることを受け入れられるように、社会的にも育児とか教育の中でも援助すべきだって。男性性についても当然そうなんですね。男性性の受け入れということは当時はあんまり問題にならなかったんです。当時、男優位の社会で男に生まれるとかなり便利でしたからあんまりなくて、女の人は無茶苦茶不便だったんです。20世紀の初めのヨーロッパの特に中流上流階級の女性たちはとても不便な生活をしていました。例えば、上流階級になると、結婚なんか完全に親が決めて見も知らない人と結婚させられちゃうんです。まあ一種の政略結婚で、商取引とか土地の財産分与とかと関係しながら結婚されられちゃうんです。結婚すると完全に家庭の中に縛られて外出の自由なんか全然なくて、友だちとおしゃべりなんかできない。電話もないし、もちろん外へ行くこともできないし。上流階級になると、今の女性と違ってショッピングなんか絶対行っちゃいけないんで、日本でもそうでしょう。昔は上流の女性は自分で買い物に行ったりしないです。みんな召使い・腰元なんかに行かせるわけで、何してるかというと何もしてないんですよ。で、欲求不満になるんです。欲求不満だと、週に1回日曜日に教会に行って、上流階級の女性たちと少しおしゃべりをするくらいしか楽しみがない。大奥みたいな生活をしているけど、みんな凄い欲求不満で、カリカリに怒ってたんです、女に生まれて損だと。だからアドラーは、女性性を受け入れることを問題にしないといけなかったんです。幸いにして、そういう女性の極度に拘束された状況はずいぶんマシになってきました。今も世の中にバカ者がいますから、女の子が歩いていたらさらおうという類いがいますので、女子が夜歩いたりすることを、僕らは規制しなければならないけど、そんなのもやがてなくなればいいんだけど。
一方、男性のほうは当時に比べるとやや苦しい。社会的な期待がいっぱいあって、働かなきゃいけないとか、アメリカだと兵隊行かなきゃならないとかあったりいっぱいあって苦しいので、それで男性性の受け入れを拒否するタイプの人々がこのごろときどき出てきていますよね。そういうことについては確かにアドラーはコメントしたんです。僕らが育児と教育の中で、男が男の体と男の心、女が女の体と女の心、男の人生と女の人生を、おのおの祝福して受け入れられるようにする配慮をいっぱいしなきゃいけないなと思いました。そういう意味でもフェミニストたちの男女同権論とは違うんです。男は男として生きなきゃいけない。女は女として生きなきゃいけない。現実をリアルに認めたいと思うんです。男性性、女性性をなくしちゃったら凄い不幸だと思う。男らしさ女らしさとかいうものを、闇雲に否定したって何も起こらないと思う。それはそうなんですけど、じゃあ、育児とか家事とかの中で男と女の役割の違いが固定的に決まっているかというと決まってないと思うんです。だから男が育児をしても女が育児をしても、男が家事をしても女が家事をしても、それは一向に構わないと思う。そんなところでは決まらないから。ただ男に「子ども産め」と言われたら困るので、どうやって産んだらいいかわからないからそれは無理です。それから産んだあとの0歳児育児を「全面的に」男に任されるとかなり困るんです。0歳児を育てる遺伝子が僕たちにはついてないんです。僕らは寝ていて赤ちゃんが泣いたら、夜中でもお母さんは目が覚めて授乳したりしているの。側に寝ている男は、カーッと寝てたら朝になって責められて、「あんた気がつかなくていいわね!」って言うけど、あれは遺伝子の問題なんです。僕たちの意識の問題じゃないんです。いくら注意したって起きられないんです。母親にはそういうスイッチがついてるんだもの。そんなところで責めてもらうと困るけど、子どもが物心ついておしゃべりするようになったら、歩いておしゃべりするようになったら、もうあんまり変わらないんです。だからその年頃になれば、父親が育児しても大して問題にならないです。この問題と少し違うんですけど、「0歳児・1歳児とかをね抱えたお母さんが仕事をしていいかどうか」という質問があるんですけど、僕は反対なんです。アドラー派はみんな反対なんですよ。いわゆる乳児から幼児にかけての子どもたちは母親と一緒にいることが必要だと思うんです。それは子どもに訊けば一番よくわかるもん。「お母さんとお父さんと家にいるのはどっちがいてほしい?」と訊けば、「お母さんにいてほしい」と言うじゃない。それは自然的なことですから、それを社会的に無理やり変形しないほうがいいと思う。0歳の子どもを抱えているお母さんが、働かなくてもやっていけるのに、例えば育休を取ったりその他の形であるいは仕事をやめちゃっても夫の収入で暮らせるとして、「働きたいから働く」というのは育児のために良くないと思う。食べられないからどうしても生きていくために泣く泣く働きに行くんだったら、それはしょうがないと思う。0歳児、1歳児、2歳児、3歳児くらいまで、母親が側にいて子どもと機嫌良く遊んであげることはしたほうがいいと思う。だってそれは子どもを産んだ責任だもん。もちろん夫も手伝わなきゃいけないけど、その時期に男に手伝えることはあんまりないんですよ。責めないでね。現実にないんだもん。もうちょっとしたらあるから、たくさん。まあ、子どもが就学年齢に達していれば、男だからどうということは全然ないと思う。