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スレッドNo.69

論語でジャーナル

6,孔子曰く、君子に侍するに三愆(さんけん)あり。言(げん)未だこれに及ばずして而も言う、これを躁(そう)と謂う。言これに及びて而も言わざる、これを隠(いん)と謂う。未だ顔色を見ずして而も言う、これを瞽(こ)と謂う。

 先生が言われた。「君子(吉川先生;目上の人)の側にいるにあたっての「三種の過ち」。まだ発言すべきでないのに発言する、これを「躁=せっかち、がさつ」という。話題がそこへ来て発言すべきときなのに発言しない、これを「隠=かくしだて」と言う。顔色を見ないで一方的に発言してしまう、これを「瞽=めしい」と言う」。

※浩→「君子」を吉川先生も貝塚先生も「目上の人」と訳されています。解説は貝塚先生のが詳しいです。
 君主を補佐する家臣の心得であり、同時に、目上の人に対する礼儀でもあるようです。孔子の学園で教習する弟子たちへの心得書でしょう。現代のあらゆる会合における会話の作法としても通用します。外国では社交会話の厳重な作法があって、他人の発言を遮ってはいけないし、他人と意見がかち合うと、必ず謝って相手に先を譲る。こういう作法は中国でも日本でも古くから家庭や塾の中では守られてきました。この社交の作法を身につけていない現代日本人が、外国旅行に出かけると、あるいは無作法者と笑われ、あるいは手も足もでなくなって惨めになるそうです。会話に限らず、もう一度、新しい時代に生きる作法を復活しなければならない。「お行儀」という言葉が“死語”になってしまった現代においては、至難のワザです。現状は、言うべきときでなくても平気で発言するし、言わないといけないときには黙っているし、相手の反応がどうあろうと関係なく、自説をごり押ししています。
 かつて、大阪のアドラーギルド(当時のアドラー心理学の本拠地)で、カウンセリングの事例検討会というのがありました。毎週金曜日の夜7時から9時まででした。私も自分のケースを持参したり、録音テープを送ったりして、野田先生や先輩方のスーパービジョンを受けました。会に参加したときは、参加者がいろいろアドバイスしてくれました。その場で、発言のタイミングの大切さを学びました。タイミング良く口をはさまないと、場がしらけたり、野田先生から一喝されて、ずいぶん鍛えられました。自分のケースを録音テープで送ってアドバイスをいただいた1つのケースに、野田先生が「とても良い流れでカウンセリングが進んでいます。クライエントの発言とカウンセラーの発言が、重なったりずれたりしないで、まるで一人のナレーターが通して語っているようです」と絶賛してくださったことがあります。身に余る嬉しいお言葉でした。発話のタイミングは、カウンセリングの現場でもとても重要です。アドラー心理学のカウンセリングでは、ただクライエントの発言を受容と共感で聞くのではなくて、場合によってはカウンセラーが積極的に発言しますが、クライエントの発言を遮ったり、無意味な“間”が長く続いたりしないように、100%配慮しています。日常会話においてもお稽古しています。

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