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スレッドNo.700

野田先生の補正項から

性犯罪の予防と被害者の治療
2001年02月14日(水)

 最近、多数の外国人女性に暴行を働き、さらにその中の1人をころしてしまったという嫌疑がかけられている男について、TVや新聞が毎日のように報道している。これなど、私が嫌悪感を覚える話題の1つだ。卑劣だからね。しかし、容疑者はそれが行為できたということは、彼はこの嫌悪感を持っていなかったのだろうか。
 いや、持っていたのかもしれない。持っていながらそれを「乗り越える」ことに、不道徳な喜びを感じるということだってありうるから。「猟奇的」というやつだね。そのほうが彼が一切の罪悪感を持っていなかったというよりも、ありそうなことだ。本当のところは確かめることができないので、罪悪感があったということにして話を進めよう。
 そうだとすると、子どものころに、逸脱的な性行動を禁止して、それに嫌悪感を植えつけるという教育法は、あまり効果がないかもしれないことになる。禁止があるから、禁を犯すことに喜びを覚える者も出てくるわけだし、禁止が強くなればなるほど、禁を破ることの喜びも大きくなるだろう。禁止を強くすると、成人して性犯罪者になる人の数は減るかもしれないが、性犯罪を犯す人のほうは、いっそう凶悪になるだろう。つまり、禁止が弱いと多数の軽微犯、禁止が強いと少数の凶悪犯、ということだ。これは、性犯罪だけじゃなくて、犯罪一般に成り立つように思う。
 だから、罰でもって性教育をしてはダメなので、性は「いいこと」「楽しいこと」だと最初に定義しておいて、「では、どうしたらいいsex相手が探せるか。探し出せたら、どうしたらいいsexができるか」という教育をしないといけないわけだ。ただ、話だけじゃなくて、実習しないとあまり効果がないと思う。体験をともなわない言葉は、単なる観念の遊びだから。
 しかし、こういう教育はできないね。いったい、誰がどうやってするんだい?
 性犯罪の被害者の女性(男性でもいいが)についても、同じ原理が通用すると思う。彼女らが問題を抱えるとすれば、性行動について嫌悪的な体験があったので、性と嫌悪感が条件づけられてしまったのだ。嫌悪感で条件づけを受けると、いわゆる「回避条件づけ」になって、手がかり刺激(この場合は性行動)があると、ただちに逃げ出して、体験しないようにする。そのときには、嫌悪感や恐怖心や怒りなどの不快な体感があるだろう。これは、人間だけじゃなくて、ネズミでもハトでもそうするから、「心の傷」というほど立派なものではない。「うめぼし」と聞くと唾液が出るのと、あまり変わらない心理作用だ。
 だから、嫌悪場面(=性犯罪にあった思い出)について話をすればするほど、嫌悪条件づけをしていることになるから、反治療的だ。地震の被災者に「地震は怖かったですか?」と尋ねているのと同じことだ。「心の傷」論者の問題点はここだ。彼らは、外傷的な性体験を語らせようとする傾向がある。それも、繰り返し繰り返し。これは、むごいよ。
 そうではなくて、リラックスした状況で、少しずつ性行動に近づいて、やがて美しく楽しい性体験を繰り返すことができれば、嫌悪感は消えるだろう。「系統的脱感作」という、古典的な行動療法だ。この場合も、性教育と同じで、話をするだけじゃなくて、実際に、よい性行動を実体験する必要があるだろう。体験のないことについての話し合いは、言葉が実物を伴っていないので、ほとんど無意味だから。
 しかし、この治療はできないね。それこそ、いったい、誰がするんだい?

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