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スレッドNo.742

野田先生の補正項から

結界が破れる
2001年08月07日(火)

 このごろ、身の回りの機械がよく壊れる。たとえば、次のようなものだ。
 先日(07/16,07/27)報告したように DynaBookの液晶が破れた。今日、修理が終わったというので、引き取りに行った。消費税を入れて9万円以上払いましたよ。
 先日、縦走登山をしている間に、デジカメの液晶表面のガラスが割れた。落としたり、ショックを与えたりしたわけではない。ザックの中に入れておいて、出してみると割れていたのだ。さいわい動いたので、そのままパラオに持っていって、ハウジングに入れて水中写真を撮った。今日、修理に出した。
 先日、すさみに潜りに行ったとき(07/18)、ダイビング・コンピュータが発狂した。警告音が鳴り止まないのだ。修理に持っていくと、センサーが壊れたとのことである。パラオに行くまでに修理が間にあわないので、友人のを借りた。
 掛け時計が壊れた。この間まで遅れ気味なのに、急に進みだした。クォーツなのに、どうしてだろう。
 これは故障とはいえないが、腕時計が2つ同時に電池切れになった。
 これは、機械ではないが、パラオで友人の鼓膜が水圧で破れた。
 こうして並べるとなかなかのものでしょう。これらが偶然の一致だとは、人間は考えない。しかし、これらの間に因果性があるとも思えないので、なにかこれらを結果する単一の根本原因があるのだと考えたがる。そんな場合、日本人はしばしば人間の行為に原因帰属する。それも、「不注意だから」とかいうのではなくて、「私(ないしみんな)の行いが正しくなかったから」というような、道徳的行為の不足に原因を求める傾向がある。これは、儒教の影響だろうか。儒教では、自然災害は為政者の行為が道徳的でないからだと考えるのだそうだ。儒教文化圏の外側の人はどうだろう。西洋人に聞いてみなければ。
 インド人がどう考えるかは知っている。彼らは、「瞑想が足りないので結界が破れているのだ」と言うだろう。彼らは、世界の構造が人間の精神によって保たれていると考えている点では中国人と同じだが、道徳的行為ではなくて、内的な覚醒が問題だとする点では違っている。
 こういう原因帰属は不合理で非科学的だということは知っている。非科学的だということを知っていながら、ある程度、本気で信じてしまうのだ。そして、「しばらく生活を整えよう」と思ったりする。つまり、科学ではなくて迷信でもって行動するのだ。こういうのは、日本人ではどの程度一般的な現象であり、外国人ではどの程度なんだろう。



死者儀礼
2001年08月08日(水)

 最近ある友人が亡くなった。故人の希望とかで、お葬式を内々で出されたので、参列できなかった。その後お参りする機会がなかったが、初盆なので、この機会にお参りさせていただこうと奥様に電話でご都合を伺うと、「どなたのお参りもお断りさせていただいておりますので」と丁寧に断られてしまった。あらま、お葬式だけじゃなくて、その後も駄目なのか。まあ、故人の希望でもありご家族の意思でもあるなら、私が不服を言う筋合いではないが。
 話はすこし変わるが、先日、ある人から、「お仏壇にお参りするのは、仏様にお参りしているのか、ご先祖様にお参りしているのか」という質問があった。「そりゃあ、仏様ですよ。仏様に香華(こうげ)をたむけて礼拝供養して、その功徳を死者に回向(えこう)する、というのが図式ですね」と、わけ知り顔をして答えた。日本では、読経(どきょう)の最後に、法華経化城喩品(ほけきょうけじょうゆほん)の中の「願わくはこの功徳をもって普く(あまねく)一切に及ぼし、われ等と衆生と皆ともに仏道を成(じょう)ぜん」という偈文(げもん)を唱える宗派が多い。すなわち、「いま読経をしたトレーニング効果を、自分一人のものにしないで、一切の人々や生き物にシェアして、自分もみんなもいつか悟りを開いて仏になれるように」という意味だ。ということは、それまでの懺悔礼拝や読経は、すべて仏に向かっておこなわれていたわけであって、死者に対してではない。特定の死者の供養のために読経するときでも、読経の最後に、文は宗派ごとに違うが、功徳をその死者に回向するような願文をつけるので、やはり読経そのものは仏に対しておこなわれる儀礼なのだ。
 だとすると、わざわざ友人の家を訪れて、ご家族にご厄介をかけながら、そこの仏壇に向かって読経することはないので、どこであれ仏を礼拝供養して、最後に友人を特定した回向文を付けておけばいいわけだ。それはそうなのだが、やはりさびしい。仏教の理論以前にある、死者に向かう人間の(人間普遍的かどうかはわからないが、すくなくとも日本人の)心情としては、彼の遺骨に向かって直接に語りかけたいのだ。
 お断りしておくが、故人やご家族の考え方に不平があってこんなことを書いているわけではない。死とどうつきあうかはきわめて個人的な出来事であり、第三者である私がどうこういうべきものではない。それはそれとして、私の側の勝手でさびしがっているだけのことだ。

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