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スレッドNo.755

人の話を聴く   野田俊作

人の話を聴く
2001年08月24日(金)

 先週の木曜から土曜と、今週の木曜から土曜は、東京にいて、カウンセラーの養成講座の講師をしている。8日間、48時間の集中講座だ。講座といっても、理論的な話はそれまでにほとんど終わっているので、全時間数の3分の2以上は模擬カウンセリングによる実習だ。参加者の一人がカウンセラー、もう一人がクライエントになって、20分間の模擬カウンセリングをする。クライエント役をビデオ撮影して、後でそれを見ながら解説する。クライエント役の人は、ほんとうに困っている問題を相談しなければならないことにしてある。そうでないと、リアルなカウンセリングにならない。
 2週目に入ると、実技試験をする。演習のはじめに「試験を受けます」と宣言して、そのカウンセリングが成功すれば合格だ。不合格なら、その次に順番が回ってきたときに再受験できる。受験料2千円を支払ってもらって、それは試験官の懐に入るので、落第が多いと儲かってしまう。しかし、公開の場所で試験をしているので、誰が見ても合否はわかる。カウンセリングが成功しているか失敗しているかは、2週目にもなれば、どの参加者の目にもあきらかだ。だから、小遣い稼ぎのためにどんどん落第させるというわけにはいかない。残念。
 それでも、最終的に半数くらいは落第する。落第する要因は、要するに、相手の話が聴けていないことだ。人の話を聴くというのが、難しい技術であるのかどうか、私にはわからない。話を聴ける人は講座のはじめから聴けていて、聴けない人は最後まで聴けない。講座の途中でこの技術が改善する人はほとんどいない。だから、そもそも習得できる「技術」であるのかどうかさえ怪しい。
 受講前から知っている人が多いので、事前に誰が合格して誰が落第するかを、きわめて高い確度で予測できる。つまり、ふだん話が聴けている人は合格するし、聴けていない人は合格しない。「この人は合格しないな」と思っても受講を許可するのは、落第することから学んでもらえることもあるだろうと思ってだ。たいていの受講者は、「私はカウンセラーに向いている」と思っている。しかし、向いていない人もいて、そういう人に、「あなたは向いていない」と口で言ってもめったに納得してくれないので、体験から学んでもらおうと思うのだ。ちょっとムゴい教育方針かもしれないけれど。
 大学の教師じゃなくてよかったと思う。大学だと、カウンセラーに向いていない学生も、最終的に合格させて社会に出さないといけない。こんなに簡単に落第させられない。カウンセラーに向いていないのに卒業させてしまうと、その人たちも苦労するだろうし、その人たちにカウンセリングを受ける人たちも苦労することになるだろう。早い目に、「あなたは他の仕事を探したほうがいいですよ」と教えてあげるのが親切というものだと思う。



人の話を聴く(2)
2001年08月25日(土)

 カウンセラー養成の話の続きだ。
 人の話が聴けていない受講生がいても、「共感性が低い」だの「人の気持ちがわかっていない」だのといった抽象的な批評はしないことにしている。ビデオを見ながら、「今、クライエントはこう言ったが、カウンセラーは次はどう言うべきか」というように、まったく具体的な技術として教えている。そうでないと、学ぶことができないと思う。しかし、それでも学ぶことができない人がいる。それ以外の教え方を思いつかないので、困ってしまう。
 いつの講座でも、講座のはじめから上手にカウンセリングができる人が、10人あたり1人か2人いる。アドラー心理学では、さまざまの治療者が公開カウンセリングをしているので、この人たちは見学しただけで技術を学んだのだろう。講座の中で技術を教えると、やがてカウンセリングができるようになる人が3人から5人くらいいる。しかし、そういう人は、はじめから人の話は聴けていたのだ。残りの5人ほどは、はじめから人の話が聴けていないし、最後まで聴けない。話が聴けていないから、技術も使えない。
 つまり、講座を受けて、はじめて人の話が聴けるようになった人は、おそらく今まで1人もいない。もっとも、今後永久に人の話が聴けないかというとそうでもなくて、1年か2年して再受験すると(一度講座に出ると、いつでも再受験できることにしている)、合格する人もいることはいる。その人たちの多くは、医師や臨床心理士などの、相談のプロだ。きっと、血のにじむような努力をされたのだと思う。頭が下がる。それはそれとして、この人たちは、私が教えたので人の話が聴けるようになったわけではない。これが悔しい。
 人の話を聴くことを教育する具体的な方法は研究されているんだろうか。抽象的なお題目として、「相手の気持ちになれ」だの「人の関心に関心を持て」だのということはどこにでも書いてある。しかし、そういうことができるようになるためのトレーニング法を具体的に書いたマニュアルは見たことがない。不勉強で知らないだけかもしれないが。



人の話を聴く(3)
2001年08月26日(日)

 カウンセラー養成講座は終わった。今回はじめて受講した人12人と、前回までに受講して不合格だったので試験を受けにきた人3人、計15人のうち、最終的に試験に合格したのは7人だった。いつもだいたいこんなものだ。
 不合格だった人もウツ気味なんじゃないかと思うが、落とした私もちょっとウツ気味だ。チャンスは何度もあげたし、問題点や改善案を丁寧に解説したつもりだ。しかし、やはり、話が聴けない人は、最後まで聴けないままだった。
 具合の悪いことは、その人たちは、自分が人の話を聴けていないのだということを、講座を通じて、頭ではわかったかもしれないが、実感していないことだ。それはもっともなことで、なにしろ、その人はずっとそういう感じ方・ふるまい方で生きてきたわけで、他の人の目や耳や心でものを見たことがない。だから、自分が感じる以外の感じ方がありうることを実感できない。
 それで、その人たちの多くは、最後まで希望を捨てない。何度も受験しようとするので、最後には「あなたは今回は受からないから、受験はしないで、練習だけして帰ったほうがいい」と言うことになる。受験料2千円をだまし取っているみたいで、いやなんだ。不合格だということは、試験を受ける前からはっきりしている。そういうものなんだ。ところが、私が断ると、その人たちはショックを受けるみたいで、悲しんでみたり怒ってみたりする。困ったな、親切で言ってるんだよ。まぐれで受かることなんかないんだ。
 カウンセラーの適性がないことは、恥じることではない。私は手先が不器用なので、外科医になる適性がなかった。誰でもが外科医になれるわけではないし、誰でもがカウンセラーになれるわけではない。そういうものなのだ。
 カウンセラーとして人の話が聴けなくても、ふつうの生活では困らないと思う。なにしろ、人口の半分以上が、ここで言う「人の話が聴けない人」なのだから。逆に、カウンセラーの適性があるから、日常生活で人とうまくつきあえるというものでもない。私なんか、人間関係がとても下手だと思う。病院に勤めていたころは、看護師詰所との関係も医局との関係も、あまりよくなかった。不適応すれすれだったと思う。ここで「人の話が聴ける」というのは、だから、純粋にカウンセリングの技術の話だ。



人の話を聴く(4)
2001年08月27日(月)

 やっと大阪に帰ってきた。水曜日に、台風を追いかけて東京へ行き、4泊して、日曜までいた。毎晩、呑んだくれていたので、かなり疲れている。
 それに、どうも後味が悪い。なにしろ、カウンセラー試験で、15人の受験者のうち8人も落としたのでね。恨まれているかもしれないな。これは今回の受験者ではないが、試験に落ちて、怒ってしまって、「もうアドラー心理学はやめた!」と言って、アドラー心理学会も退会し、私ともつきあいを断った人が2人いる。そこまで過激に反応しなかった人も、陰で私の悪口くらいは言っているかもしれない。今回の不合格者の中にも、私に怒っている人や、私を恨んでいる人がいるだろう。でも、仕方がないんだよ。おまけで通すわけにはいかないしね。
 大学の臨床心理学教室も、臨床心理士認定協会も、民間のカウンセラー養成機関も、こんなにどんどん落としたりしないようだ。「アドラー心理学は、サディスティックに厳しいそうだ」という噂もあるとか。そんなことはないんだよ。ただ、客観的に試験をして、水準に達した人を認定し、水準に達しない人を認定しないだけのことだ。そうすると、残念なことに、半数ぐらいの人しか合格しない。こちらとしては百パーセント合格してもらいたいと思い、そのためにできるだけわかりやすく指導しているつもりなのだが、どうしても半分くらいの人が不合格になる。これはどうしようもないのだ。他の流派の指導者は、こんな悩みはないのだろうか。ほんとうに、そんなに高率の人が水準に達するんだろうか。
 カウンセラーの品質管理をしっかりしたいので、力が不十分な人には認定書を出さない。そのかわり、うんとわかりやすい講習をする。「相手の気持ちになれ」だとか「心の中を読め」だとか、わけのわからない精神訓話はしないで、具体的な観察法と思考法と行動法を教える。だから、もともと人の話が聴ける人は、アドラー心理学のカウンセラー講習を受けると、とてもいいカウンセラーになる。問題は、もともと人の話が聴けない人がいて、その人たちに、人の話を聴く方法をどうして教えればいいのかがわからないことだ。やはり無理なのかなあ。

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