破門と寛容(3)
破門と寛容(3)
2001年09月06日(木)
比叡山の琵琶湖側に坂本という町がある。比良山系に沢登りに来て、帰りにここに寄った。琵琶湖から日吉神社へむかって上がっていく道の途中に、伝教大師最澄の生家があるのをみつけた。坂本へは今まで何度か来ていて、いつもその前を通っているのだが、気がつかなかった。通っているといっても、車で通りすぎているだけなので、仕方がない。しかし、自分が生まれた家の裏山に寺を作るなんて根性のない坊主だ。
私は最澄に反感を持っているみたいだ。彼の罪は数々あるけれど、最大の罪は、いわゆる「大乗戒壇」の設立だと思う。日本の律は『四分律』で、鑑真が中国から持ってきて、東大寺に戒壇を作った。その後、日本の全僧侶は東大寺で四分律に従って受戒していた。ところが、最澄は、四分律を「小乗戒」だと言い、大乗仏教徒は「大乗戒」でもって受戒しなければならないと主張した。しかし、インドにも中国にも、大乗戒などというものは存在しない。彼が、経典や論書のあちこちをつぎはぎしてでっち上げたものだ。天皇は、政治的なおもわくからだと思うが、比叡山に大乗戒壇の設立を認めてしまったので、天台宗に限っては、大乗戒という偽物の戒でもって受戒することになった。
中国人はこの戒が偽物だと知っていたので、日本の僧が中国に留学するとき、比叡山で受戒した旨を記した認定書(戒牒という)は無効だった。正式の僧だという証明がないと、さまざまの不便があった。そこで、比叡山で受戒した僧侶は、奈良東大寺の戒壇の戒牒を偽造して持っていったんだそうだ。私文書偽造だね。栄西や道元も、認定書を偽造して経歴詐称して留学したんだと思うと、ちょっとおかしい。
先日(09/02)書いたが、律の規定によれば、「布薩を共にできなければ非仏教」なのだから、最澄の大乗戒で受戒した者は、仏教の僧ではない。大乗戒の条文は『梵網経』(どうもこの経典は中国で偽作されたらしい)によっているのだが、これは、『四分律』の条文とは似ても似つかないものなので、布薩は共にできない。四分律に従っているなら、南方上座部のパーリ律とだって、チベットの説一切有部律とだって、布薩を共にできる。
1200年前に最澄が犯した過ちを、今になって修正するのは難しいかもしれない。しかし、世界の仏教教団と「布薩を共にできる」ようになることは、かなり重要なことではないかと思う。そうしておきさえすれば、理論上で何を主張しておろうが仏教なんだ。
破門と寛容(4)
2001年09月07日(金)
昨日、「日本の僧が中国に留学するとき、比叡山で受戒した旨を記した認定書(戒牒という)は無効だった。そこで、比叡山で受戒した僧侶は、奈良東大寺の戒壇の戒牒を偽造して持っていったんだそうだ」と書いたが、文献的根拠がいるだろう。
先師、諱は明全、貞応癸未二月廿二日、建仁寺を出て大宋国に赴きたまう。その年四十歳。もとこれ比叡山首楞厳院の僧なり。(中略)全公もと天台山延暦寺の菩薩戒を受けたまう。しかれども宋朝は比丘戒を用う。ゆえに、入宋の時に臨んで、この具足戒牒を書持したまうなり。宋朝の風は難くして、習学の僧みな先に大僧戒を受くるなり。ただ菩薩戒のみを受くるの僧は、いまだかって聞かざるなり。先に比丘戒を受け、後に菩薩戒を受くるなり。菩薩戒を受けて夏臈をなすこと、いまだかって聞かざるなり(元漢文。引用者書き下し)。
これは、貞応二(1223)年に道元を連れて入宋したさい、明全が持参した東大寺戒牒の奥に付された注記の一部である。それによると、(一)明全は北峯戒壇で受戒していたにもかかわらず、東大寺戒壇で受戒したことを示す東大寺戒牒をもって入宋したこと、(二)それは中国において、延暦寺戒壇の立場である菩薩戒のみを授けて比丘とする授戒が認められておらず、大僧戒(=『四分律』に説く比丘戒)受戒によって生ずる戒臈は認められるが、菩薩戒の受戒による戒臈は認められていなかったこと、がわかる。ようするに、鎌倉時代の初期においてすら延暦寺戒壇は中国において承認されていなかったのである。逆にいえば、東大寺戒壇こそは対外的に承認されていた戒壇であったといえ、そこでの受戒によって生ずる戒臈は中国の僧侶集団においても通用したのである。(松尾剛次『鎌倉新仏教の成立―入門儀礼と祖師神話』吉川弘文館 p.165)
「戒臈(かいろう)」というのは受戒してからの年数のことで、僧の席次はこれで決まるのだそうだ。ちょっと体育会系だね。
それはともあれ、こうして、なにか主張すると文献的根拠をあげるようになったのは、文学部教育を受けたたまものだ。
破門と寛容(5)
2001年09月08日(土)
こういう話題には、人々はあまり関心がないかもしれないので、いいかげんにしようと思うが、もうちょっとだけ。
むかしの仏教教団では、「布薩を共にする」かぎり、思想的にどんなに変わった説を唱えても破門されることはなかったという話を書いた。この話は、「布薩を共にする」というところが、キーだと思う。
布薩は、とてもおごそかな儀式だ。月に二度、地域の全僧侶が、特別の事情(たとえば病気)がないかぎり、結界を張った特別の場所(布薩堂)に集まらなければならない。最初に、司会者が、「もろもろの大徳たちよ、私は今、戒を説こうと思う。汝らは注意して聴いて、善く心にこれを念ぜよ。もし戒を犯したとみずから知ったなら、すなわちみずから懺悔せよ。犯すことがなければ黙然せよ。黙然すれば、大徳たちが清浄であると知る」というような意味のことを、きわめて儀式ばって4回唱える。それから、戒の条文(250近くある)をひとつひとつおごそかに読み上げ、違反していないものは沈黙し、違反しているものは懺悔する。儀式は夜おこなわれるので、いっそうおごそかな雰囲気になる。
しかし、実際的な意味がそれほどあるとは思えない。戒に違反した者がみずから懺悔することなど、そうありそうにない。だから、参加することに意味があるのであって、内容に意味があるのではない。こういう形式的な儀式を共にすることを、仲間の条件にするというのが、この話の面白さだ。
人が他者に対して寛容であるためには、形式的な儀式に共に参加できることが一方にないといけないのではないかと思っている。いっしょに「お祭り」に参加すれば、意見が違っても仲間だと感じる、ということだ。今、さまざまの不寛容が世界中に荒れ狂っている。宗教対立とか民族対立とか思想対立とか。オリンピックやその他のお祭りが、いくらか調停の役割を果たしているかもしれない。しかし、4年に一度では少なすぎるのだろう。布薩のように、月に1回とか2回とか、共通の儀式に参加するというようなことがあれば、もうすこし許しあって暮らせるのかもしれない。なにか、そういう工夫はないものかな。(野田俊作)