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スレッドNo.767

胃袋と性器(2)    野田俊作

胃袋と性器(2)
2001年09月13日(木)

 大学を卒業して、内科の研究室にいたとき、顕微鏡標本の作り方を学んだ。まず、組織をアルコールやエーテルで脱水して固くする。何日かかけて脱水して、十分固くなったら、蝋で固定する。それをミクロトームというカンナで削って、数ミクロンのカンナ屑のようなものにする。それをプレパラートに貼りつけて、蝋を除去する。そのままでは透明で見えないので、染料で染色する。染料の種類によって染まる部分が違う。
 あるとき、肝臓の組織に鍍銀染色した。これは神経細胞を染める染色法だ。何も見えないかもしれないと思っていたのだが、細胞のひとつひとつに神経繊維がつながっている。それはそうだよね。肝臓の細胞だって、脳の制御下にあるんだから。頭ではそう知っていたが、実際に目で見ると、ちょっとしたショックがあった。「肝臓や胃や性器は出張所で、脳が本店なんだ」とそのときは思った。このできごとは、後に精神医学に転向する、ひとつのきっかけになった。
 しかし、今は、「脳が本店で脳以外の臓器が出張所」だとは思っていない。脳は、各臓器からのフィードバックがないとちゃんと機能できないことを知っているからだ。つまり、脳と臓器は相互作用をしている。システムを作っているといってもいいし、オーガニズムだといってもいい。脳→臓器でもなく、脳←臓器でもなくて、脳と臓器とが全体としてひとつの塊なんだ。
 だから、昨日書いた、胃袋と性器の話にしても、脳と胃袋・性器が対立しているとは思っていない。脳も胃袋・性器も、ひとつの全体の部分なのだ。とはいえ、脳は脳で暴走しうるし、胃袋は胃袋で暴走しうるし、性器は性器で暴走しうる。こういう関係は数学の用語でいうと「非線形」なので、うまく言語で記述しきれないのだが。
 シッダルタ太子(お釈迦様のこと)の胃袋も性器も、満足を通り越して、飽き飽きしていた。現代人は、胃袋は飽き飽きしているが、性器が飽き飽きしていることはそんなにない。しかし、彼は、胃袋だけではなくて、性器も満ち足りすぎていた。これほどの不幸はない。人間は、ぜったいに最終的には満足しないのだ。満足すると、もっと強い刺激を求める。しかし、刺激には限りがある。特に、性に関しては、すぐに「同じことの繰り返し」に陥る。
 それで彼は出家して、胃袋と性器を思い切り干しあげた。それもまた違う種類の不幸であることを悟るのに、六年だか七年だかかかった。そうして、「苦楽中道」に到達した。つまり、脳と胃袋・性器とのバランスを回復した。それまでは、どちらかが暴走していたのだ。
 食に関しては、彼の教団はそう極端な禁欲を強いない。しかし、性に関しては、完全な禁欲を強いる。このアンバランスは、おそらくシッダルタ太子・ゴータマ・ブッダが決めたものではなくて、禁欲主義者のマハーカーシャパのアイデアではないかと思っている。原始仏典を丁寧に読んでいると、そういう臭いがするのだ。マハーカーシャパは、ゴータマの教えをそのまま受け継いだわけではなさそうだ。
 すくなくとも、性的禁欲を命じた戒の条文は、内的な必然性があったわけではなくて、出家教団に対する当時の民衆の期待で、そうでなければ布施がもらえなかったのだ。そのことは「律」にちゃんと記載があったはずだ。ただ、今は金沢にいるので、「律」が手元にない。大阪に帰ったら、ちゃんと参照して紹介することにする。



破門と寛容(6)
2001年09月14日(金)

 網野喜彦・阿部勤也『中世の再発見』(平凡社ライブラリー)を読んでいたら、次のような一節があった。

阿部 ヨーロッパの場合は、宴会の場はアジール(「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」)ですから、そこへ仇(かたき)が飛び込んできても、みんなと何か食べてしまったら。その男をころすことはできません。

 へえ、そうなんだ。これは「布薩を共にする」のと似ているな。アメリカの同時多重テロ・グループは、おそらくイスラム教徒なのだろうが、ムスリムにとって、アジールになるのはどういう場なのだろう。アメリカ国民とテロリストの大衆が、アジールで出会えば、問題は解決しそうに思うのだが。武力による報復攻撃よりも、パーティをして水に流すほうが、ずっといいアイデアだと思うのだが。酒を呑まないムスリムにとっては、パーティはアジールじゃないのかもしれない。しかし、人間であるかぎり、なにかそのようなことがありそうに思うのだけれど。



散居
2001年09月15日(土)

 富山県砺波市で仕事をした。砺波なんて知らない人が多いんじゃないか。北陸本線からも少し離れている。金沢と富山の真ん中あたりにある高岡で城端線というローカル線に乗り換えて、20分ほど南下したところにある。飛騨の山地から庄川がようやく平野に出たところにある、広々とした扇状地だ。高速道路が市内を貫いたので、車で行くなら便利な場所だ。
 砺波平野の村々は散居という構造をしている。小高い場所に一家族の家があって、数棟からできていて、屋敷林に囲まれている。その周りに田畑が広がっている。一家族ごとに孤立していて、集落構造を作っていないのだ。とてもよい景色だ。今はチューリップなどを作っているようなので、その季節にはきれいだろうな。写真を撮ろうと思ったが、あいにく天気が悪くて、いい写真ができなかった。
 言葉も、富山とも金沢とも違う気がする。「~が」で終わる、高知弁に似た語尾があった。気風も、なんとなく富山とも金沢とも違う。活発な人が多いように思うのだが、それは私の知り合いだけのことだろうか。
 インターネットのおかげで、地方の町のめずらしいことについて、すぐに知ることができるのは、たしかに便利だ。砺波に来る前は、岐阜県にいたが、事前に、五箇山、白川郷、荘川村について予習して、12日と13日は、そのあたりで遊んでいた。都会の役所のホームページは、巨大すぎてあまり便利じゃないのだが、田舎の役所のは、コンパクトでいいのが多い。



3歳児のお絵かき
2001年09月16日(日)

 富山県へ行ったついでに、向後千春さんのお宅へ伺った。上のお嬢さんのあいなちゃんが、絵を描いて見せてくれた。3歳だと思う。「ママ。これはおめめ。お口。髪の毛。リボン」というように、ひとつひとつ言葉で言いながら描いてくれる。ちゃんと人間を描いているのだと識別できる。ママとパパとは、髪の毛の形で区別されているらしい。言葉で言ったこと以外のものは描かない。やはり、絵を描くことは、言語機能の発達と平行しているように見える。
 以前に(08/23)「音声や文字ではなくて、『絵』がシニフィアンの役割を果たす」と書いたが、絵には恣意性がないので、シニフィアンとしては働いていないな。あれは間違いだ。言語と独立に、絵を描くということはないのかなあ、やはり。
 自分の子どもが小さかったころには、こういうことに関心がなかったので、こういう風に子どもの絵を見たことがなかった。もっぱら、兄弟間の葛藤ばかり面白がってみていたな。そのうち孫ができたら、絵の発達の観察材料にしよう。しかし、結婚しそうにない娘たちの様子を見ていると、孫なんてできるんだろうかと、ちょっと不安になる。

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