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スレッドNo.771

伴奏音楽    野田俊作

玄米
2001年09月21日(金)

 ここのところ、「食べ物シリーズ」だな。数日前に友人から「コシヒカリを送る」というメールがあったので、「玄米にしていただけると嬉しい」と返事したところ、今日、玄米のコシヒカリと、イカの一夜干と、カマボコが着いた(「カマボコ」と書くと、どこの地方から来たか、わかる人にはわかるな)。
 白米は、外食の他は、登山のときくらいしか食べない。山では、まさか玄米を炊くわけにもいかないしね。むかしはアルファ米という「ほしいい」みたいなものを使っていたのだが、高価だし、おいしくないし、そんなに高山に登るわけでもないので、最近は普通のお米にしている。炊き方にちょっとコツがあって、2千メートルまでの山であれば、おいしく食べられる。
 家では玄米ないし三分搗(つ)きだ。玄米は好き嫌いがあるが、私は好きだ。もぐもぐと噛んでいると、とてもおいしいと思う。白米は、甘すぎて、お菓子のようだ。玄米は、しかし、糠に水銀が蓄積するとかで、農薬をたくさん使ったものは危ない気がする。友人の田圃でできたものなら安心だ。
 毎年、秋になると、何人かの友人がお米を送ってくださる。野菜やお米をいただくと、なんとなく、田舎のお医者さんをしているみたいだ。お金はたいして持っていないけれど、食べ物は不自由しない。ありがたいことだ。
 お酒もいただく。先日、酒どころの友人から日本酒をいただいて、今日、大阪のオフィスのアル中三人組(一人はもちろん私で他の二人は女性事務員)とアル中顧問税理士と、四人で酒盛りをした。社長が率先して職場で酒を呑むのだから、どうしようもない。



伴奏音楽
2001年09月22日(土)

 劇の伴奏音楽の話をする。劇といっても、サイコドラマ(心理劇)だ。サイコドラマは、モレノという人が考え出した心理療法技法で、アドラー心理学もその技法を輸入して、アドラー心理学なりにアレンジして使っている。その名のように、芝居仕立てで心理療法をしてしまうものだ。
 私は主として伴奏音楽の担当なのだが、選曲がけっこう難しくて、また面白い。お客さんがよく知っている曲は使えない。あらかじめお客さんがその曲に対してもっているイメージが邪魔をするのだ。たとえばTVの「水戸黄門」のテーマソングを使ったりすると、頭の中は水戸黄門でいっぱいになる。だから、TVでよく流れる曲はだめだ。ヒットソングも、日本のものであれ外国のものであれだめだ。クラシックも、多くの人が知っているものはだめだ。そこで、誰も知らないような変わった曲ばかり選ぶことになる。
 合宿でサイコドラマをすることが多くて、その場合には一日中やっているから、一人のお客さんを主役にした劇が終わると、ちょっと休憩してから、次のお客さんを主役にした劇をする。次の劇が始まる合図に、決まったファンファーレを鳴らす。そうすると、休憩中のお客さんたちが「始まるぞ」とわかって、着席してくださる。今日から大阪で合宿をしているのだが、今回は、ヒンデミット『カンマームジーク』第1番第1楽章だ。といっても、「ああ、あれね」と思う人はまずいないだろう。聴いても、ほとんどの人は知らないと思う。
 むかし、リヒャルト・シュトラウス『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭を使ったら、この曲は映画の伴奏に使われたりして世の中でよく知られているので、そのイメージが劇造りの邪魔になったことがあった。それで、まだ劇が始まっていない時間に鳴るファンファーレでさえ、人の知らない曲でないといけないことを学んだ。これまでに使ったファンファーレは、ヤナーチェック『グラゴル・ミサ』第1楽章、モンテヴェルディ『聖母マリアのための晩祷』第1曲、バッハ『管弦楽組曲』第3番第1楽章などだ。バッハはともかく、ヤナーチェックの曲やモンテヴェルディの曲は、今回のヒンデミットほどじゃないけれど、「通」でないと知らないと思う。こういうのを探すのが楽しくて大変なのだ。



伴奏音楽(2)
2001年09月23日(日)

 サイコドラマの伴奏の話の続きだ。ファンファーレが鳴ると、監督(治療者のことを、サイコドラマではこう呼ぶ)が舞台に出て、あらかじめ予約している主役のお客さんを呼び出す。話を聴いて、芝居の筋書きを作る。この間に、音楽担当者は曲を選ぶ。あらかじめ話の筋を知っているわけではないので、主役の話を聞きながら、こういうストーリーだったらこんな音かな、と選んでいく。私はCD担当で、もうひとり楽器担当のスタッフがいる。あれこれ相談もする。必要があれば、擬音も用意する。15分だか20分だかすると、ストーリーも決まり、観客から相手役を選び出し、リハーサルが始まる。
 今回、用意していったCDは50枚くらいで、実際に使ったのは20枚ほどだと思う。ほとんどが、あまり人の知らないクラシックだ。リハーサルの伴奏には、バロック時代の室内楽をよく使う。バッハのフルートソナタなどだ。そうでなければ、あまりパンチのない20世紀の音楽だな。19世紀の音楽は饒舌すぎて、ほとんど使えない。ポップスを使うことはまずない。
 リハーサルを繰り返すうちに、ストーリーが変わってくる。はじめ主役は泣いていたのが、監督と主役が相談して、泣くかわりに怒ることにするかもしれない。そうなれば、伴奏を変えないといけない。泣いているときには、たとえばバッハのフルートソナタの短調の緩徐楽章を使っていたのだが、怒るのだと、たとえば、ウェーベルンの管弦楽曲の速いパセージを使うことにする。さらにまた話が変わって、怒りの内容を相手に向かってのんびりゆっくりした口調で言うことになるかもしれない。そうなればまた伴奏が変わって、楽器奏者に「おはなはん」のテーマをシンセサイザーで弾いてもらうことにするかもしれない。
 時に、同じストーリーを違う伴奏でやってもらうこともある。そうすると、怒っていた人が怒れなくなったり、笑っていた人が怒ったり、雰囲気はすっかり変わってしまう。音楽が人間に与える影響はすごいなと思う。普段の生活でもそうなんだな。TVやFMから流れる音楽に、自然に影響されて生きているんだ。ある意味で、気をつけないといけないね。その気になれば、音楽でもって人心操作が、ある程度はできるんだから。



伴奏音楽(3)
2001年09月24日(月)

 アメリカ人は戦争をする気で、『リパブリック賛歌』などの愛国的な歌を歌っている。物騒な話だ。ショーペンハウエルが、「音楽は理性を飛び越えて感性に直接働きかける」というようなことを言っていたと思うのだが(記憶による引用なので、間違っているかもしれない)、たしかに理性を痺れさせる効果はある。
 日本も、戦前には、戦争の伴奏音楽がたくさんあったみたいだが、今はそういう種類の歌はない。私の世代はもう、『君が代』を歌っても、愛国的になんかならない。私の父の世代でも、『君が代』では愛国的にならなかったんじゃないかな。でも、愛国的ないし好戦的になる歌はあったみたいだ。
 『君が代』をやめて別の国歌にしたほうがいいという意見があって、じゃあ、どういう歌がいいのかと考えてみた。なにはともあれ、みんなが知っている国民歌をそのまま国家にするのがいいと思う。そう考えると、『ふるさと』だとか『上を向いて歩こう』だとか『翼をください』だとかを思いつくけれど、今のところ、どれも、戦争の応援歌にはなりそうにない。
 しかし、ある音楽と愛国心ないし好戦的感情が結びつくのは条件反射によるので、どんな音楽であれ、ある強化随伴性[注]のもとで鳴らせば戦争の伴奏音楽になるのかもしれない。『君が代』や『海行かば』みたいなシケた音楽でも好戦的感情をあおったのだから、『上を向いて歩こう』でもって突撃することだってしかねないよ。

*注:強化随伴性:Aがある状況である行動をすると、Bがその行動に報酬なり罰なりをあたえるとする。そのとき、状況と行動と報酬(あるいは罰)の関連性を、強化随伴性という。たとえば、ある音楽を鳴らして、愛国的な演説をし、愛国的な反応をすると賞賛されるというようなとき、音楽や演説という状況と、愛国的な反応という行動と、賞賛という報酬の間の関係は、強化随伴性である。

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