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スレッドNo.36

夕童子句碑

化粧馬裸に戻し祭了ゆ 松浦夕童子

松浦夕童子(せきどうじ)先生は明治40年、広島県に生まれた日本画家。戦時下、中島飛行機の徴用工として半田市に移り住む。終戦後も半田市に居を構え、画家としての傍ら俳句創作に勤しむ。半田俳句教室の創立者されたほか、俳句結社「天狼」(主宰・山口誓子)にも所属。中日俳壇年間最優秀句に2回、俳人協会朝日新聞社賞等を受賞された。昭和57年3月31日、逝去された。標記の句は先生の還暦を祝い地元の句友が建てた句碑で、現在は長女の育世さんが住む半田市前田町の磯部邸の庭にある。

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松浦夕童子先生の句碑
半田市を含む知多地方の祭りと言えば、山車を曳きまわす山車文化が大部分である。西三河の「おまんと」の駆け馬文化と好一対をなす。ところが、西三河と交流が深い東浦町、大府市は駆け馬文化圏に属する。半田市でも平地と言われる地区だけは、どういう訳か山車ではなく、駆け馬の祭りである。平地は亀崎と乙川の中間に位置し、夕童子先生の旧居のあった前田町は平地に属する。もっとも、夕童子先生ご自身は亀崎の潮干祭りを題材にしを題材にした句を沢山残しておられるのだが。平地の駆け馬は長らく途絶えていたが、十年ほど前に復活したと聞く。

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