生きてますが
やっぱり脚が(日によっては腰も)痛いです。
昨日(土曜)は弁護人接見に行くとき、いつもより駅から時間がかかったような気がします。
まあ、普段も公式の時間数よりだいぶかかるんですが…。
一応、遅刻はしなかったのでホッとしましたが、少々焦りました。
いつもならさっと階段を上がろうとする警察の人が最初から「エレベーターで」と言ってくださったのは、
おそらく私がひょこひょこのそのそ入ったからでしょうねえ。(汗)
こんな調子ですが、ある病院だけは「卒業」と言われました。お医者様がニコニコしてうれしそうでした。
卒業証書は出ないんですか、と冗談で尋ねたら「出ません」。
帰宅後、弟に「卒業式だったら、あれやらなくちゃいけなかったんだよ、
『楽しかった心電図ぅ~ (しんでんずぅ~)』ってやつ」と言われました。
そういえば私は小学校を卒業してない上、中学校(かろうじて日本帰国後)でもそういうのを
やった記憶がないんですが、これって日本人の常識みたいなイベントですよねえ。
いつから始まったんでしょうか。(弟は歳が離れているせいか、どうやら経験しているようなんですが)。
卒業シーズンになると音楽番組などで「卒業式に歌ったのは」みたいなアンケートを
やっていますよね(たぶん)。
私が中学校を卒業するときは全員で『大地讃頌』を歌ったと記憶しているのですが、
なにしろ日本に帰って間もないときだったので、それが「卒業式に歌うのは『普通』」
(あるいは『ブーム(?)』)だという意識はありませんでした。なので、誰だったか
イトコの結婚式披露宴で、司会が「ではここで皆さんで『大地讃頌』を」と言い出したとき、
えっ?と思っていたら、叔父叔母たちが皆普通にハモり始めたので、かなりかなり驚きました。
なんで皆歌えるの?って。
ただし、父方の叔父叔母連は合唱経験者が多いので、そういう意味では「歌えて当然」なのかも
しれませんが…。(でもたぶんあれはそういうことではないですよね…。)
とまどいながらも、ちゃんとハモれるので(そして好きな歌なので)私も歌いましたけどね。
そういえば私、昔は(かなり雑ですが)『大地讃頌』の伴奏もピアノで弾けたのですが、
今は…誰だよ私の大事なピアノの上にあれこれ荷物を置いてるのは! 状態です。
(いろいろ落ち着いたら調律を頼まないといけないのですが、それまでピアノがもつかなあ、と
ちょっと心配です。あれは3歳のとき、家にお金がないのに父が無理して買ってくれたピアノなので、
ほとんど弾かなくなった今も大切に思っているんです。)
あ。最近右手がかなりおかしいので、それも治さないとピアノは弾けないのでした。
あちこちの病院(別々の科。手術をした病院とか)で「健康」扱いされてるのに、
それ以外のパーツで不具合がいくつも出てるってのは、なんなんでしょうねえ。ε=( ̄。 ̄)
早く人間に戻りたいです…。(ρ_;)
以前、弟が「楽しかった卒業式~」「そつぎょうしき~」って言いだして笑ったのを思い出しました。
そこは卒業式ではないですよね、絶対。遠足とか林間学校とか運動会とか、そういうのが入るのだと思います。
あ、そういえば私は林間学校ってやつは行ったことがありません。ちょっと残念。
運動会はチリに行く前、小学1、2年生でしか経験していません。
当然、かけっこはビリでしたが(うちの父や祖父の系統はだいたいそうらしい)、
運動会は楽しかったなと思います。
(楽しかったから、かけっこがビリでも別にいいのです。参加賞としてノートをもらいました。)
日本でもチリでも、体育の授業は好きでした。
なので、体育は単に『できない』ものであって、『苦手』とは言いませんし書きません。
『苦手』ってのは、なんか嫌いっぽいじゃないですか?
そうではないので。
跳び箱はまったく跳べませんが、弟も跳べないそうです。
弟は「一段ずつ増やしていけば大丈夫!」と先生に言われ、一段だけの跳び箱を跳ぼうとして失敗、
先生はどうしたらいいか困ったそうです。(笑)
運動音痴の定番といえば逆上がりですが…。
私は、幼稚園児の間に父が買ってくれた『部屋の中で使える組み立て式の鉄棒』のおかげで
逆上がりはできるようになってから小学校に行ったので、そこは大丈夫でした。
(父が「僕の娘なら逆上がりができなくて苦労するに違いない」と言い出し、鉄棒を見つけて
買ってくれたのでした。(笑))
3.11の大地震のあと、コンビニか何かの帰りに公園に寄って休んでいたら、
縄跳びで二重跳びの練習をしている小学生の女の子がいました。
それを見て「死ぬまでにしたいこと→二重跳び」と思ったのでしたが、
今もまだできません。(だめじゃん>自分)
弟は逆上がりができないまま卒業したらしいですが、二重跳びはできたというのです。
なんかちょっぴり悔しいです。(笑)
そういえば、弟は子供のころどうしてもブランコが漕げなくて、母(体育全般に優等生だったらしい)が
必死で教えてもできなくて、それなのに一人で公園で練習していたらよその知らないおじさんがコツを
教えてくれて、無事漕げるようになった、と言っていました。
よその知らないおじさんに感謝、です。
今は知らない人が声をかけてきたらそれだけで「事件」として通報されてしまう世の中なので、
小さい子にブランコのコツを教えてくれるよそのおじさん、なんてのは現れないでしょうねえ。
ちなみに、私はブランコは得意でしたし、今も好きです。
子供のころ家に(父が買ったと思われる)ブランコがあったおかげでしょうか。
私は卓球は得意だったのですが、これはチリにいるときに父が卓球台を買ってくれて
庭に置いていたことも影響してます。今は足腰も右手もだめだから、卓球できないだろうなと
思うと哀しいです。
でも、こうなってくると、「運動神経が悪い」ってのはいったい何なんだろうな、とも思います。
祖父も父も私も弟も運動は全般的にできないのですが、それでもそれぞれにできることが多少はあったりするので。
(父は水泳と卓球とボート漕ぎはできました。)
妹は母に似たのか、私や弟とは違って、一応普通に運動ができます。(いいなあ)
父がボートが漕げたのは、おそらくですが、私と同じ『外語大出身』だからじゃないかと思います。
うちの大学伝統のボート大会(レガッタ大会)には父も出たようですし…。
(私は在学中完全に毎年出てました。)
子供のころ、洗足池というところに父と二人で行って、ボートに乗ったことがあります。
(当時は池のほとりに今でいう『ガチャ』があって、生まれて初めて買ってみた、というのも覚えております。)
今でも洗足池はなつかしくて好きな場所です。
私は学校の先生方が皆頭を抱えるくらいのひどい『運動音痴』でしたが、
なぜか(チリで体育の授業で教わった)逆立ちとハードル越えだけはうまかったんです。
チリでは日本のように学校の運動会はなかったのですが、
年に一度、市内のいろんな学校が集まってやる陸上競技の対抗試合がありました。
どういうわけか私はそれの『障害物競争』に、うちの学校の代表で出たことがあります。
単にハードルを越えるのがうまかったから、なんでしょうけど…。
あれはリズム感の問題じゃないかと思ったりします。
そういえば、卓球って、耳がいいとうまかったりするらしいですね。
あまり歳をとってしまわないうちにまたやりたいものです。
スキーも(下手なりに)私は何度も行って滑りましたし、
弟も一度だけ(高校のクラスメートたちと)行ったことがあります。
二人とも無事楽しんでこられたので…あれもいわゆる『運動音痴』でもできるやつなのかも
しれませんね。
そんなわけで、今『運動音痴』で悩んでいる小さい子たちも、もしかするとできる競技とかが
あるかもしれませんよね。みんな頑張れ。