『ケンちゃんシリーズ』と『ドラえもん』は始まったが
昭和44(1969)年という年は、藤子・F・不二雄(当時は「藤子不二雄」名義)の『ドラえもん』が主に児童向け雑誌でで連載が開始されました。やがて、昭和48(1973)年に最初のテレビアニメ化が行われ、昭和54(1979)年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となりました。また、昭和44(1969)年から昭和57(1982)年にかけてケンちゃんシリーズが放映されました。この2つのアニメやドラマは、当時の児童文化にも大きな影響をもたらしています。その一つは、主人公のケンちゃんや『ドラえもん』の副主人公のび太の服装が、一年中短い半ズボンであるということで、当時は、このような服装が少年服として、可愛くかっこいいと思われていました。
さて、昭和45(1970)年以後になると、少年合唱団が実写ドラマやアニメの主題歌を歌うことは、ほとんどなくなりましたが、そのオープニングテーマを主演の少年や、少年合唱団に所属する少年、あるいは少年歌手が歌うこともありました。西六郷少年少女合唱団は、最初の数年間は少年合唱団でしたが、その後少年少女合唱団として活動しました。アニメのテーマソングのレコード等に「西六郷少年合唱団」と書かれているのは、男子だけの選抜だったのかもしれません。昭和50(1975)年、上高田少年合唱団の指導者の奥田政夫が退職し、その歴史も幕を閉じたことは、時期的にも一致します。ところで、平成12(2000)年には、ウィーン少年合唱団に映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』のテーマ曲を歌わせることもありました。これは、「ドラえもん」も国際化したとも言えますが、日本にも少年合唱団があるのに、いかがなものかと思うこともあります。
一方、少年少女合唱団である杉並児童合唱団などは、その後も単独で、あるいはコーラスとしてテレビアニメの主題歌に参加しています。
このシリーズを通して一番言いたかったことは、特に、昭和30年代後半から40年代(主として1960年代)は、ウィーン少年合唱団の初来日がきっかけとなって、全国的に少年合唱団が誕生し、テレビを通して日本の少年合唱団の歌声が子どもの身近なところにあって親しまれていたという土壌があったということです。
しかし、このような人気は、長い歴史に支えられたものではない一過性のもので、そのような土壌がなくなってしまった現在の日本においては、海外の実力のある少年合唱団を日本に招聘してコンサートを行えば、少年合唱が盛んになるといった単純なものではないということです。
ということで、この連載は、ここまでとします。
昭和47(1972)年
「へんし〜ん体操」(北美奈々、団進也、上高田少年合唱団)
昭和47(1972)~昭和48(1973)年
「ケーキ屋ケンちゃん」OP (宮脇康之)
昭和48(1973)年~昭和49(1974)年
「おもちゃ屋ケンちゃん」OP (宮脇康之)
ケンちゃんシリーズ(5作品 宮脇康之・岡浩也)
昭和53(1978)年
「星の王子さま」 OP (鈴木賢三郎:フレーベル少年合唱団)