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スレッドNo.134

2015年に逝去した川島なお美さん

かつて、まり子さんと同じ年月に、生まれた川島なお美さんが、2015年の9月に亡くなったことが印象に残っています。

女子大生の時にデビューをし、当時20代だった80年代の初期、まり子さん達と共に青春時代を謳歌していました。歌手、女優、バラエティーと幅の広い活動をし、何よりもワインを愛してやまない人でした。

私生活では、パティシエの鎧塚俊彦さんと結婚をし、左目が不自由な夫を支えてきましたが、残念ながら胆管癌で、息を引き取りました。亡くなる直前の川島さんは、かなり痩せていて痛々しく感じました。

川島さんに限らず、かけがえのない人の死は、一緒に青春時代を過ごしてきた人達に大きなショックを与えたものだと感じました。

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川島なお美さんというと、「女子大生タレント」の元祖的な存在だった印象があります。自分が大学生時代には、なお美さんの髪型や通称「ハマトラファッション」を周囲の女学生が影響を受けていたことが思い出されます。最後まで、芸能のお仕事にこだわっていたようですね。

まり子さんの出演ドラマ「気になる天使たち」の前身的番組の「ただいま放課後」にも、川島さんは出演していました。同番組には、「ぎんざNOW!」のハンダースのメンバーで昨年6月に62歳で亡くなった小林まさひろさんも出演していました。

最近は、自分たち世代に近い方の訃報を聞くことも珍しく無くなってきて、複雑な思いがします。

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そうえいば、2012年の4月18日の生前の更新内容に、

(33年前の4月21日、ラジオでは、「鶴光さんのオールナイトニッポン」と「アイアイゲーム」のアシスタント、キャニオンで歌手デビューした時の思い出、そしてデビューした時の1979年を振り返っていました。あの時は、文化放送のミセスDJのラジオの打ち合わせをしながら、時にワインを飲みながら、ピザを楽しむ様子が描かれていました。

もちろん、1979年の昭和54年は、インベーダーゲームが大流行、バスボンガール、デビュー同期のまり子さんのことや桑江知子さんのことにもふれており、今日に至るまで続けてこれたのは、皆さんのお陰、そして、これからも新たしいことに挑戦するという前向きな内容を感じました。

生前は、ダックスの雌犬を娘のように可愛がっていた、野球ではドラゴンズやジャイヤンツの応援をしてたし、料理が上手な人でした。それで最後の本人ブログは、2015年の9月23日のミュージカルの「クリスマスキャロル」の降板のお詫びでした。

それから、9月25日に、川島さんの所属事務所の太田プロダクションから、彼女は24日の19時55分に54歳でなくなったという知らせが入り、36年間の芸能生活にピリオドを打ちました。

なお、川島さんの代役は事務所の後輩で、「よめきんトリオ」で活躍していた渡辺めぐみさんがしました。渡辺さんは、松金よね子さんとKINYAさんで、「笑っていいとも!」の80年代期を盛り上げていた人の一人でした。

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まり子さんがデビューした1970年代からは、歌手から俳優に転向される人はけっこういました。若い時は若者向けのドラマがあるので、出演の機会は多いはずです。でも、年を経ると年齢が高い役の数自体が少なくなるので、小さなパイの奪い合いとなり、仕事として成り立たなくなってしまうこともあるようです。

川島さんも、年齢を経ても女優業に焦点を定めるためには、相当の苦労をされたはずです。ですから、仕事に対する責任感も強かったのでしょう。運命とは、残酷なものだと感じます。

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