かつての音楽賞レース
まり子さんが、「How!ワンダフル」で最優秀新人賞をゲットした時の1979年は、いろんなハプニングがありました。
日本武道館時代のFNS音楽祭では、お母さんが、思わず、片方の靴を落としてしまい、関係者の方が拾ってくれたこと。
全日本歌謡祭で、関口宏さんが、電話で、最優秀新人賞を告げたときに、長崎から友人が駆けつけてくれたこと。
日本歌謡大賞では、泣いていたまり子さんに対して関係者が、ハンカチをそっと差し出してくれたこと。
昔の音楽賞レースでは、家族や友人、関係者がありったけの花束を抱えて持ってきたり、受賞歌手が泣いて歌える状態ではなかったということはしょっちゅうありました。
特に、70年代と80年代の音楽賞レースは、若手からベテランまで、そうそうたる顔ぶれが揃っていて、活気を感じました。
昔に比べるとレコード大賞と有線大賞がメインになって、昔に比べると音楽賞の特番が少なくなってしまいました。
更に、若い新人賞の歌手の名前と歌っている曲を覚えられなくなりましたし、今の若い歌手やグループが何を歌っているのかさえ、なかなか覚えられなくて、覚えられたとしてもほんの数曲というのが現状です。
2016年の音楽賞レースで、グランプリをとった西野カナさんは、「あなたの好きなところ」、「Dear Bride」が印象に残りました。特にレコード大賞の時のジーンズの縫い合わせドレスが素敵でした。
それと、今の音楽賞レースでは、泣く人が少なくなりました。
それだけでなく、家族や友人、関係者のどさくさも少なくなり、ずいぶんおとなしくなったなあという気がしました。
まり子さんが新人の時には、多くの歌謡祭があり、そこでたくさんのドラマが生まれました。それら番組自体も大変豪華な作りで、まり子さんが華やかな衣装で「HOW!ワンダフル」を歌う姿が思い返されます。
歌謡祭での最高峰は「日本レコード大賞」で、NHK紅白歌合戦と同じく大晦日生放送という時代では、レコ大に出て引き続き紅白に出演することは、歌手にとってたいへんなステータスでした。
そのレコ大も、音楽メディアがレコードからCDに代わると次第に形骸化して、今では「芸能事務所の持ち回り」とか言われるようになり、存在意義が疑問視されるようになってしまいました。
シンガーがアーティストという呼び名になって、各個人の自由な表現の場が次第に増えてきた感があります。動画サイトに自作の曲をアップして、デビューということもできますしね。
おじさん世代には、歌手の名前が横文字だと、個人かグループかもわからなかったりします。昔の曲には、優れた作詞家によって、文学的表現というか情景の描写が印象深いものが多かったように思います。