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スレッドNo.178

ペギー葉山さんの逝去

60年代に少年少女時代を過ごした人の親世代が良く知っている歌手のペギー葉山さんがが、肺炎のために逝去しました。

「学生時代」とかサウンドオブミュージックの「ドレミの歌」で親しまれていました。1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)のNHKの「うたはともだち」とか「ひらけ!ポンキッキ」の躾のコーナーとかお子様向けの番組にも出演していました。

他に、「ウルトラマンタロウ」の主人公の母親役としても出演していました。

今年に入ってから、訃報を聞くたびに、昭和の顔が一人また一人といなくなり、昭和の歴史の一つが終わりを告げました。

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このベテラン歌手は、まり子さん達からするとこの人の親世代のような歌手です。亡くなる前の2月に、キングの歌謡歌手の音楽パレードというイベントに参加して、あの時は元気な姿を見せていたと、仲間の歌手は言っていました。

日本歌手協会役員になって、プロ歌手の権利の保護や地位の向上に貢献しました。それと、元夫の故・根上淳の介護の苦労を基にした講演活動をしたことでも有名でした。

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歌手の方や俳優の方など、訃報が続きますね。

私がペギーさんで印象深かったのは、「ウルトラマンタロウ」でのウルトラの母の化身(同時に主人公の東光太郎の母のイメージ)でした。ペギーさんの夫である俳優の根上淳さんは、「帰ってきたウルトラマン」のMATチーム2代目隊長役で有名でした。さらに「タロウ」の主題歌を歌った武村太郎さんは、まり子さんが後に入る芸能事務所に当時所属していたそうです。

最近発売されたいくつかの週刊誌のペギー葉山さんの記事を読みましたが、ペギーという名は進駐軍での仕事をする際に外人に通りの良いニックネーム的な芸名が必要だったからだそうです。

そんな洋楽にたいへん親しんだ経歴が、後々日本の人々に分かりやすい日本語で洋楽を歌うという形で、音楽活動をされました。レッツゴーヤングのまり子さんが在籍した時代の前後は、同じように外国の曲を分かりやすく取り入れる番組内容でした。ペギーさんのような先駆者の方々がいたからこそ、繋がって行ったのではないでしょうか。

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