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スレッドNo.84

新春かくし芸大会

2010年で、ピリオドを打った様々な芸を競う伝説的な大会でした。この大会は、始まった当初は、高橋圭三さんの司会でやっていました。それで、まり子さんが出た大会で印象に残ったのが、1981年、昭和56年の英語劇の坊ちゃんの女学生役、1983年には、1月1日の第1部のMusic Boxのレオタードの群舞、1月2日には三味線の小山流の小山貢氏指導による津軽じょんがら三味線を揃いの白の紋付袴姿で披露しました。西郡チームでの参加でした。歌番組やドラマ、レコーディングの忙しい合間を縫っての練習は大変でしたが、やり遂げた時の達成感は格別なものでした。

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第1部の西条満先生のレオタードの群舞よりも、小山貢先生の津軽三味線の方が難しかったかもしれません。踊りの方は、レッスンを積んでいたのでわりと慣れていましたが、三味線は未経験者が多かったので、苦労されていた人か多かったかもしれません。
この小山流の三味線は、演歌歌謡界の発展に貢献しました。
松山和子さんのデビュー作「帰ってこいよ」では、本人によると歌よりも三味線の方で苦労したが、見事ヒットしました。

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かくし芸大会というと、渡辺プロダクションの影響力が大きかった時代ですね。クレージーキャッツのハナ肇の銅像とか、英語劇に中国語劇などと、他の追随を許さないほど特色のあったお正月「オールスター」番組のトップを走っていました。

まり子さんはいろいろと出演されていましたが、刑事ドラマのパロディで、婦人警官役で短い時間ながら出演されていたこともありました。かくし芸を標榜しながら、番組のために初めて練習してることを揶揄されたことも懐かしい思い出です。自分は20代くらいまでは毎年熱心に見ていましたが、「大物」と呼ばれる俳優やタレントが亡くなっていたことと合わせて、消えていった昭和の風物詩であります。

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