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スレッドNo.84

ルシファーのまどろみ・予告編-2

 メグミと京子の挨拶が終わった後、伸也たちは(メグミの病状を心配してという理由もあるし、突然の転校生に対して興味津々という理由もあって)様々なことを二人に尋ねたのだが、返ってくるのは要領を得ない説明ばかりだった。二人の内、京子の方は自分の生い立ちや転校前に通っていた学校のこと等を或る程度は具体的に語ってくれたのだが、メグミはどんな質問に対しても曖昧な受け答えに終始し、時には押し黙ってしまう場面もあって、N県の出身ということの他には殆ど何も聞き出せないという状態だった。

 そうこうしているうちに、またもやドアをノックする音が聞こえ、どうぞという淑子の声を待って部屋に入ってきたのは、鳥遊小学校の保健室をまかされている養護教諭の梶田美和だった。
 美和は部屋にいる面々の顔を見渡し、
「みんな、放課後までご苦労様」
と穏やかな声で言ってから、ドアの近くに立っているメグミに向かって
「坂本さん、夕方の検診の時間だから、保健室へ来てちょうだい」
と声をかけ、続けて、メグミに寄り添い立っている京子に
「井上さんも一緒に来てもらえるかしら。転校初日で何かと忙しいだろうと思ってお昼の検診の時は呼ばなかったけど、今なら大丈夫よね?」
と言った。
 それに対して京子は
「わかりました。明日からはお昼の検診の時も先生のお手伝いをします。四時間目が終わってお昼休みになったらすぐに保健室へ行けばいいんですよね」
と小さく頷いて応え、殊勝な顔つきで
「本当は朝の検診もお手伝いできればいいんですけど、二時間目と三時間目の間の休憩時間は中学校の校舎と小学校の校舎の往復だけで終わってしまいそうなので、それは無理みたいです。申し訳ありません」
と付け加える。
「いいのよ、そのことは気にしなくても。朝の検診は、お昼や夕方の検診のための予備検診みたいなものだから。それに、無理をして井上さんが体調を崩したりしたら坂本さんの面倒をみられる人がいなくなっちゃうんだから、自分自身のことを第一に考えてちょうだい」
 美和はいたわるように応じ、ゆっくり体の向きを変えると、明美、愛子、美鈴の顔を順に見わたして
「坂本さんと同じクラスの野田さんと、井上さんのクラスの富田さん、上山さんね。二人に校内を案内してくれてお疲れ様でした。あとは私が二人を保健室へ連れて行くから、もう自分の教室に戻ってもらって結構です。また何かあったらお願いするかもしれないけど、その時もよろしくね」
と労いの声をかけ、くるりと踵を返してドアのノブに手をかけた。
 その後ろ姿に雅美が拳をぎゅっと握りしめ、
「あ、あの、梶田先生。一日に三回も保健室で検診しなきゃいけないなんて、メグミちゃんの病気、そんなに重いんですか?」
と、思い詰めた表情で訊ねた。
「ああ、いいえ、病状そのものは、そんなに重くはないのよ。その点は心配しなくていいわ」
 ノブにかけた手を止めて美和は応え、少し間を置いて、言葉を選びながら。
「ただ、周り人たちがこまめにケアをしてあげないと日常生活に差し障りが出るのよ、坂本さんの病気は。だから、日に三回の検診も、正確に言うと、検診というよりもケアに近いわね。――付け加えて言っておくと、学校にいる間だけで三回の検診というか、ケアなんだけど、お家に帰った後もケアが必要で、それも、眠っている間も誰かがケアしてあげなきゃいけなくてね。そのために井上さんが坂本さんと一緒に暮らして面倒をみてくれることになっているんだけど、一人じゃ大変だと思うわ」
と続けた。
 そこへ、京子が
「やだな先生、そんな大袈裟な言い方しちゃ。私、ちっとも大変なんかじゃありませんよ。大好きな年下の従妹のお世話をしてあげるの、とっても楽しいんだから。私がいなきゃ何もできない小っちゃな従妹のお世話をしてあげるの、楽しくて仕方ないんだから」
と、『年下の』というところと『何もできない小っちゃな』というところを強調して言って、わざとのような明るい声で、うふふと笑う。
 だが、京子の明るい笑い声を聞いても心配そうな表情を変えず、みんなに心配をかけまいとして京子が無理に明るく振る舞っているのではないかと考えた雅美は
「お、お節介かもしれないけど、何か手伝えることがあったら言ってくださいね。私たち、同じ遊鳥清廉学園の新しいお友達になったメグミちゃんに何かしてあげたいんです。梶田先生もおっしゃたように、自分だけでメグミちゃんの面倒をみて井上さんが体調を崩しちゃったらメグミちゃんのお世話をできる人がいなくなっちゃうんでしょう? そんなの、駄目です。だから、どんなことでもいいから、私たちに言いつけてください。お願いだから」
と真っ直ぐな眼差しで訴えかける。
 雅美の真摯な声に、その場にいる全員が大きく頷いた。
「ありがとう、みんな。転校先が遊鳥清廉学園でよかったわ。私たちのことをこんなに気にかけてくれる人たちばかりのこの学校に転校してきて本当によかった」
 京子は明るい声のままそう微笑んでみせた後、メグミの顔を見おろして言った。
「ほら、メグミもみんなにお礼を言いなさい。なんて言えばいいか、わかるよね?」
 言われてメグミは一瞬なんともいえない顔つきになったが、じきに、うっすらと頬を赤らめ、恥ずかしそうな表情を浮かべて
「……同級生のお友達と、六年生のお兄さん、お姉さん、それと、中学校のお姉さん。わ、私のことを気にかけてくれてありがとう。私、少しでも早く、び、病気をを治して、みんなに心配をかけないよう頑張るね。だから、それまで、いろいろ助けてください。……お願いします」
と、今にも消え入りそうな声で言って、おずおずと頭を下げた。
「うん、頑張ろうね。頑張って、早く病気を治して、保健室へ行かなくてもいいようになって、お昼休みも放課後も一緒に遊ぼうね。ゴム跳びとか、あや取りとか、ハンカチに刺繍するとか、一緒に楽しく遊ぼうね。約束だよ」
 メグミが頭を上げるのを待って雅美が右手を差し出し、小指を曲げた。
 けれどメグミはきょとんとするばかりだ。
「指切りしようよ。早く病気を治して一緒に遊ぶって約束の指切り」
 そう言って雅美は左手でメグミの右手の手首をつかんでこちらに突き出させ、半ば強引に小指どうしを絡み合せると、その手を上下に大きく振って
「ほら、約束だよ。指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーます。はい、指きった!」
と大きな声で唱える。
 そこへ横合いから京子が
「メグミもちゃんと言わなきゃいけないでしょ? 難しいことなんてないわよ、服部さんの真似をすればいいんだから」
と言って、メグミのお尻をぽんと叩いた。
 その瞬間、メグミの頬が真っ赤に染まる。
「ほら、服部さんの真似をして、ちゃんと指切りするのよ」
 京子がもういちどメグミのお尻を叩く。
「……ゆ、指切り、げんまん……嘘ついたら、は、針千本、飲ーます」
 恨みがましい目で京子の顔を振り仰ぎつつ、小さくかぶりを振って弱々しい声を絞り出すメグミだった。
「はい、よくできました。それじゃ、保健室へ行きましょう。手を繋いであげるから、ほら」
 頬を火照らせて雅美と指切りをしたメグミの頭を優しく撫で、雅美と小指どうしを絡ませていたメグミの右手を握って京子は言った。
「や、やめてよ。そんな、小っちゃな子供にするみたいなこと。手なんて繋いでもらわなくても、わ、私……」
 突然のことに驚いて京子の手を振りほどこうとするメグミ。
 だが、大人と子供ほどに体格差のある京子の手から逃れることはできない。
「何を言っているのよ、メグミったら。私から見ればメグミなんて、いつまでも手のかかる小っちゃな子と同じよ。五年生になっても手のかかる、私がいなきゃ何もできない、小っちゃくて可愛らしい、手間がかかってしようのない妹みたいな子なんだから」
 京子はメグミの手をぎゅっと握ったまま、美和が開けたドアに向かって大股に歩き始めた。
 京子に引きずられるようにして慌てて歩を進めるメグミの足取りが乱れて、スカートの裾が一瞬ふわっと舞い上がる。

          *

「結局、大事なことは何も聞けなかったね」
 三人が出て行った後の固く閉ざされたドアを眺めながら、伸也がぽつりと言った。
「そうね。井上さんは自分のことをわりと話してくれたんだけど、坂本さんは殆ど何も話してくれなかったよね。ここへ転校する前に通っていた学校のことを訊いてもはぐらかされちゃったし」
 淑子が人差指を顎先に押し当て、伸也と並んでドアを眺める。
「わかったのは、坂本さんがN県の出身だってことくらいかな。まさかN県の子がひばり幼稚園に通うなんてできるわけないから、ひばり幼稚園の卒園生じゃないってことも、わかったことの一つということになるのかもしれないけど」
 省吾が眼鏡のフレームを押し上げて呟いた。
「あ、でも、N県の学校から直接うちへ転校してきたんじゃなさそうなことも言ってなかったっけ? 井上さんが話していたことと、なんだか曖昧だけどメグミちゃんが話してくれたことを組み合わせると、この学校へ編入する前はK女子中学校で同級生だったって思えそうなことも言っていたような気がするんだけどな。ただ、だけど、それだと……」
 鉛筆を指先でいじりながら、雅美が小首をかしげた。
「だけど、だったら、遊鳥清廉学園でも坂本さんは中学校に編入しなきゃ変だよね? K女子中学校に通っていたんじゃなくて、その系列の小学校に通っていたって意味じゃないかな。隣の県に住んでいる親戚の子が一人、K女子中学校に通っているんだけど、あそこ、スポーツ特待の子が多いんだそうよ。井上さんは体も大きいし、いかにもスポーツが得意って感じだけど、あの華奢で引っ込み思案の坂本さんがスポーツをやっていたなんて思えないから、服部さんの勘違いじゃいかな、たぶん。ま、ちゃんと説明してもらえなかったから、本当のことはわからないんだけどさ」
 ドアを眺めたまま考え考え淑子が言う。
「……そうね。きっと、そうよね。あのメグミちゃんがスポーツなんてね……」
 自分たちの前でメグミがどんな話をしていたかもういちどきちんと思い出そうとするのだが、細っこい体つきのわりに目立って大きなお尻のことばかりが思い起こされて、雅美は曖昧に頷くしかなかった。

 一瞬、児童会室がしんと静まり返る。

 静寂を破ったのは、愛子の
「それにしても、雅美ちゃんの説明通り、とっても可愛い子だったよね、メグミちゃん。五年生にしちゃ背は高いけど、その他は、体も細っこいし、なんだか頼りないっていうか、守ってあげたくなるような雰囲気で、井上さんが言っていたように『何もできない小っちゃな妹』ぽくて。本当の学年よりもうんと下の学年に編入しても全然おかしくない感じの子で。――ろりこんの伸也君は一目惚れしちゃったでしょ、きっと」
と伸也をからかって言うおどけた声だった。
「いい加減にしてよ、愛子ちゃん。僕の顔を見るたびに『ろりこんの伸也君』なんて言ってからかって。知らない人が聞いて信じちゃったらどうしてくれるのさ」
 一つ年上で幼馴染みの愛子にからかわれ、むきになって伸也は、児童会の役員の前だというのに『富田先輩』ときちんと呼ぶことも忘れ、小さい頃からの呼び方をして頬を膨らませた。
 そこへ淑子が
「だけど、小林君が自分よりもうんと年下の女の子を好きだっていうのは本当のことでしょ? だって、ほら、こども園の特別年少クラスの御崎葉月ちゃんと親しくしているくらいなんだから」
と更にからかって、にまっとほくそ笑む。
「よしてよ、藤森さんまで。べ、別に、僕は葉月ちゃんと親しいわけじゃないんだから。ただ、僕が年中クラスの時に葉月ちゃんが特別年少クラスに入ってきて、それで、面倒をみてあげていただけなんだよ。それを愛子ちゃん、あ、ううん、富田先輩が有ること無いこと言いふらすもんだから……」
 伸也は慌てて顔の前で手を振った。
「でも、そう言うけど、御崎先生と田坂先生の結婚式でフラワーシャワーの後、葉月ちゃんと結婚式の真似をしていた時、嬉しそうな顔をしていたよね、小林君。服部さんがフラワーガールの役をして、小林君と葉月ちゃんが花婿さんと花嫁さんで。あの結婚式、私も参列していて、小林君が顔を真っ赤にして、でもとっても嬉しそうにいていた様子、今でもはっきり思い出せるわよ」
 伸也のうろたえようにくすくす笑いながら、淑子はからかうのをやめない。
「それで、その後、披露宴の最中に葉月ちゃんがしくじっちゃっておむつを取り替えてもらうことになったんだけど、小林君、ロビーに出て行ったよね。女の子の恥ずかしい格好を見ないようにしていた小林君の紳士的なところ、私、とってもいいなと思ったのよ。だから、ろりこんでもいいじゃない。小林君はとっても立派で紳士的なろりこんさんだから、胸を張って堂々と葉月ちゃんとおつきあいすればいいと思うよ」
 取って付けたような真面目な顔で淑子は言い、わざとらしく怖い表情を浮かべて
「でも、いくらメグミちゃんが小林君のお気に入りの子だとしても、浮気は駄目よ。みんなの妹みたいなあの可愛い葉月ちゃんを泣かしたりしたら、学校中の女子が許さないからね。わかった?」
と告げた後、またもやくすくす笑い出した。「富田先輩も藤森さんも、もうそのくらいで勘弁してよ」
 伸也は尚も顔の前で両手をぶんぶん振って困った顔をした。
 しかし、葉月との仲をひやかされて満更でもなさそうな表情が伸也の顔に入り交じっていることを雅美は見逃さず、淑子と同じようにくすくす笑ってしまう。

 だが、次の瞬間、妙なことに思い至った雅美の顔から笑みが消え去った。
 淑子に言われて雅美も七年前に執り行われた御崎皐月と田坂薫の結婚式の光景を思い出したのだが、中でも最も印象に残っているのは、フラワーガールを務めた葉月の可憐であどけない姿だった。特に、新婦である薫が身に着けていたウェディングドレスと同じ生地で仕立てた純白のドレスに葉月は身を包んでいたのだが、その丈の短いスカートの裾から三分の一ほどピンクのおむつカバーが見えていて、たっぷりあてた布おむつのためにぷっくりと丸く膨らんおむつカバーと、葉月が覚束ない足取りで歩くたびにドレスの裾がふわふわ揺れていた様子が今でもありありと目の前に蘇ってくる。
 その丸く膨らんだおむつカバーの記憶が、(病気と何か関係あるのかな)と思いながらみつめたメグミの大きなお尻と頭の中で二重映しになって、雅美になんともいいようのない戸惑いを覚えさせ、明るい笑みを消し去ってしまったのだ。
 それだけではない。
 部屋を出て行く直前に制服のスカートの裾がふわりと舞い上がって、ちらりと見えたメグミの下着。その厚ぼったい感じのする下着が頭の中の映像に更に重なり合って、ますます雅美を困惑させてやまない。

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高木 先生

予告編の更新、ありがとうございます。
高木先生のユニバースが誕生された感じですごく期待されます。

また、葉子さんも早くお元気になるように・・・

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