新蕎麦とジャズと演歌が大好きで
昨日信州十割手打蕎麦の新蕎麦を初めて食べた。実に旨い。浅草雷門の「藪」とは違った蕎麦だが、蕎麦掻のある店が極上の蕎麦屋の目印で、蕎麦粉がよほど良くないと蕎麦掻は出来ないので蕎麦掻を食えば店の良し悪しはすぐわかるが、普通は良く練った蕎麦粉を木の葉の形にして蕎麦湯に浮かべるが、この店は練った蕎麦粉だけを盛っただけだが舌が唸った。これを蕎麦焼酎の蕎麦湯割でいただくと口中に信州の蕎麦畑が広がる。まるで
月光のおよぶかぎりの蕎麦の花 柴田白葉女
という秀句が眼前に広がるかのようだ。「新蕎麦に打粉入歯にポリグリップ」と詠んで西野文代師匠と榎本亨代表に「二度と入歯は詠むな」と禁止された猫さんの句とは偉い違いで、店主自慢の四色蕎麦を平らげたが、わざわざ信州まで出向いて食いに行っても悔いのない旨さだった。また行こう♪
ここのところ、岡田一夫遺句集『こほろぎ』がやっと上梓され、やっと校正から解放されたと思ったら今度は小金虫のお婆さんが句集を出したいというのでまた校正を頼まれたが、かげおさんのようなベテランの句集ならともかく俳句六七年の初心者の句集など老い先短い独り暮らしで生きている証がほしいのか気持はわからんでもないが絶対に嫌だと断ったのだが、間に義理のある俳人が入って断り切れずしぶしぶやり始めたが400句中100句くらい削ってあげてと言われて新年32句中一句だけしかまともな句がないでは、出だしから地獄の責め苦で死にかけている。四分の一が字余り字足らずの句で校正ではなく添削の地獄をさ迷っている。直すと跡形もなくなるし、見られる句にすると本人の句ではなくなる。散文であればいくらでも厚化粧は可能だが、五七五の俳句では糞土の牆は塗るべからずであるよ。でも、まあ、だから猫髭に振ってきたわけだから、闇夜の提灯ぐらいにはなってやるか。そのほかにも次から次へ難題ばかりを振って来られて四苦八苦。なんで俺ばっかりにみんな頼みごとをしてくるのか。「だって、猫さんにしか出来ないじゃん」と言われてもなあ。そう言えば娘も言っていた。「仕方ないよ、パパ出来ちゃうんだもん」か。
あ、お吟さん飛び越えてた。
