ぽきぽきと指を鳴らせる雨月かな
佳音さんの「よべの月」が始まりましたね(https://ameblo.jp/chez-kanon/)。空なぞ見ることはないのですが彼女の「よべの月」のお陰で十五夜と十三夜は片月見にならないよう見上げているが、コロナが世情を賑わして以来、忙しなくて月見どころではないかというと、わたくしはヘルパーだから一年中マスクをしてビニール薄手手袋をして石鹸で手洗い・うがいは怠らないから、コロナ以前も以後も実は何にも変わらない暮らしぶりで、俳句世間から引退してからは俳句つきあいはほとんどなく、人付き合いはもともと子どものころからないからソーシャルディスタンスはがらがらであります。
親の話だとわたくしが泣いたのはおぎゃあと生まれたときだけで、そうそう、小学校の時、小幡丸を持っていた五郎さんが父と仲が良く父が市会議員に立候補しようかと冗談で言ったのを、人前で「清き一票を」と演説している胡散臭い大人の代表と毛嫌いしていたわたくしは「お父ちゃんやめて」と泣いて頼んだそうで、泣いたことがないのによっぽど人前で目立つ行動をするというのを嫌っていたらしい。
五郎さんこと、小幡五郎は元血盟団で三井財閥の総帥團琢磨を暗殺した菱沼五郎の特赦後の小幡家に養子で改名した名前で、血盟団の大洗組でそのひとり堀川秀雄(号は「東愛」)はわたくしが通った堀川保育園の園長で母と同じ短歌の同好会「磯」のメンバーで家にも遊びに来てわたくしも可愛がってもらって詩吟を教わったりしていた。小幡五郎も堀川秀雄も日本初のテロリスト集団「血盟団」(これは検察側が付けた名前で誰もそういう名前を名乗ってはいない)のメンバーだとは知らなかったが、義理の弟が建設会社の幹部だったので港湾関係はやくざが仕切っているから東愛先生の名前を出してもいいかと言われたので構わないよと答えたが、「東愛先生のお身内ですか」と名前を出すとそれだけで引いたと聞いたから国士はやくざからも一目置かれていたのだろう。堀川園長の短歌は三十一文字(みそひともじ)どころか八十文字くらいあるんじゃないかという愛国短歌で溢れていたが海の自然詠などは好きだった。那珂湊の実家には、この浜木綿が咲く道を来るのも最後だろうという主旨の晩年の園長先生の色紙が飾ってあったと記憶する。
大洗の工場の隣には血盟団の首謀者井上日召の護国寺があり入口には堀川園長が筆をとった「護国寺之賦」の碑がある。一人一殺とか物騒な事が書いてあり余り好きではないが筆跡は見慣れた堀川園長のものだった。右手の三重塔は五郎さんの寄進。五郎さんは茨城県の県会議長まで勤め、日本初の原子力発電所東海村の設立に寄与したが、井上日召の生まれはわたくしが取り寄せている「雪ほだか」の産地群馬県川場村でいまだに福島原発の爆発事故で放射能汚染が基準値を超える地区であるのも巡る因縁か。
ほんに猫髭はいかなる星の下に生まれし生命体なるや。(*^▽^*)ゞ。
