坐つても立つてもスマホ寒波急
老婆の冥土の土産の句集校正がやっと終わり、日曜の朝、校正を届けに電車に乗ったら右も左もスマホを見ており座席も全員老若男女スマホを見ている。吊革にぶら下がって外の景色を見ながら銀杏の黄葉が小雨の中でも綺麗だなあと見ているのはわたくしひとりで何用あって満員電車の中でスマホを見ているのかと呆れたブラザーズ。一億総白痴化の傾向は増税クソメガネの首相から庶民に至るまでコロナのように蔓延しているようだ。入口に凭れ掛かった男は親指を痙攣させたかのようにスマホを叩いている。親の死に目に会えないのか。朝からいやはやの光景だった。自分の目ではなくスマホを通して世界を見るとは、道理で個性のない見かけだけの現代人が増えるわけでドストエフスキーが予言したように無個性が現代人の特徴のようだ。
わたくしの校正のやり方は一貫していて歳時記の春夏秋冬新年の順に春は初春・仲春・晩春に三春を混ぜて時候・天文・地理・生活・行事・動物・植物の順にただ並べてゆくだけの根気仕事である。この作業は作者のためではなく読者のためで季節の流れに沿って自然に読んでいけるようにという配慮である。年代別ということであれば年代別にこの作業を繰り返す。今回は422句を削って300句くらいにと仲介者に頼まれたが、わたくしの人様に読んでもらうレベルの合点句と次点句は49句しかなかったので、これを300句にするのは不可能であると報告したが、じゃあ200句ぐらいに出来ないかと添削していいからと差し戻された。本人に推敲能力はないようなので薄化粧ぐらいであればと引き受けたが、添削は作者のレベルに合わせて添削しないと、鷹羽狩行のように「添削したら自分の句ではなくなった」と訴えられた事件があったように、添削されて俳句としては良くなったのに厚化粧すると「糞土の牆は杇るべからず」で逆切れされるタイプだと厄介なのだが、この老婆は「何で初心者なのにそんな難しいことを押し付けるのか」と逆切れするタイプらしいので難しい。したがって575の音数律と音韻律と季ぶくれや無季や新季語を整えることを基本に校正し、あとは仲介者に200句に絞る作業をお願いした。わたくしの「俳句に対して失礼に当たらないレベル」の基準では到底200句には達しないためだ。冥土の土産だから値段を付けて売るとか賞に応募するといった無謀な真似はしないように願うので子どもや兄弟に送るだけに限定するよう仲介者に念を押し、いつものように黒子に徹したいので名前を出すことは控えさせた。
仲介者はこんなに丁寧に校正することはなかったのに、もっと適当で良かったのにとのたまわったが、じゃあ自分でやれば良かったので、それが出来なかったから猫髭は手抜きはしないので任せたはずで、校正ではなく介護のつもりで作業したと答えたら仲介者も確かにと笑っていた。やれやれ、これで徹夜から解放されて一気に全身がほぐれたわい。
二週間ぶりにガスの給湯器も取り換えてお湯が出る様になったので風呂に入ったら垢が流氷のように分厚く押し寄せて来たのには驚いた。また、ずっと椅子に座り続けで根を詰めたので、公衆便所の和式便器に腰を下ろそうとしたら膝が下まで降りず中腰で脱糞して立つときに膝が伸びず壁の取っ手に掴まって立ったのには我ながら驚いた。校正には『角川 季寄せ』を使うが、目も酷使するし、和式便座で往生したので、もう校正はやんない。(*^▽^*)ゞ。
