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スレッドNo.1709

納豆の糸引きながら寄る勿れ

納豆は茨城の県庁所在地が水戸で水戸納豆の産地だから那珂湊も毎朝納豆売りが「なっと~、え、なっと~」と売りに来た。藁苞(わらづと)に入っていた。あと蜆売りが「蜆はでっかいよ、父ちゃん蜆だよ、母ちゃん蜆だよ、でっかい蜆だよ」という面白い掛け声で売りに来たのが涸沼の蜆だろう大きくて来れば買っていた。蜆売りの小父さんが亡くなってからは那珂川とつながる浜辺の浅瀬に蜆がうじゃうじゃいたから採って来て砂を吐かせて朝餉の味噌汁になっていた。納豆も蜆も生まれた時から食わせられていたので特に好きではなかったが当たり前のように食べていた。魚もそうで那珂川の生鮭の焼いたものや石持の塩焼、赤次の干物、柳鰈の干物は好きだったし、大洗の母の実家は蛸の仕出し屋だったので丸々一匹茹でた蛸を引き千切って食っていたが、鮪の缶詰工場の臭いが湊中に漂って食傷気味でツナ缶は自分から買ったことは一度もないし、刺身も納豆と混ぜて食っていた。田舎では鮪のトロなど見向きもされなかったが、東京に出て来てからはなんじゃこりゃ~と驚く不味い魚ばかりで愕然としたので、実にガキの頃は贅沢な魚介類を食していたことになる。

納豆は母が納豆を叩いてひきわり納豆にしてくれたのが子どもの頃からのお気に入りで、今はひきわり納豆はどこでも売っているが、自炊するようになってからも自分で納豆を叩いてひきわりにして食べていたものだ。

海につながれた日々の豊穣がわたくしの体を作ったのだろう。当たり前のように食べていた地元の魚介類と納豆と蜆の味噌汁が大きな病気一つない健康体を作ってくれたのだ。「みんな元気な馬鹿ばっかりだっぺよう」と漁師たちが言っていたが、然なり。

写真は餅が余っていたので黄粉餅。

あ、晩飯の青森の大蕪の味噌汁作ってたらお吟さんを飛び越していた。そうそう、カシニョールとかローランサンの美術展は伊豆をひとりでバイクでツーリングしていた若き日に伊豆高原美術館とやらで開催していて観光バスで女性たちが群れて賑わっていたが、わたくしはわが国初の現代美術館である「池田20世紀美術館」目当てで来たので、薄気味悪い絵が流行るもんだと早々に立ち去ったが、あの観光客用の美術館はどうなったのか。わけのわからないメルヘンチックな美術館がならんでいたが・・・。「池田20世紀美術館」はいつ来てもがらがらで心おきなく静かな時間を楽しめた。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年01月17日 21:39)

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